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第三章 顕彰の意義
「大田・絵堂の戦い」〜顕彰と供養の意義〜
「大田・絵堂の戦い」を顕彰しよう会:山口敏昭
歴史を学ぶ姿勢
 歴史を学ぶということはどういうことでしょうか。それは単に知識を学ぶだけでなく、日常生活に活かしていく、「温故知新」が大切だと思います。
 そのためにはどのようにすればいいのか、その具体的行動が「歴史の顕彰」と、歴史の犠牲者となった人への「慰霊(供養)」であると思います。
歴史顕彰の意義
 「歴史顕彰」がなぜ必要なのかは、「歴史」は、単に事実であるから残ったというものではなく、人の手によって、歴史的な意義が明らかにされ、語り継がれ、社会的認知を得てきたからこそ、今日「歴史」として残っていると言えます。つまり、いくら歴史的に重要な意味を持つ出来事があっても、それが社会に明らかにされ、
讃えるという「顕彰」がなければ、歴史から廃れてしまい、後世の人が学ぶことが出来ない、ということになります。
 その点、「大田・絵堂の戦い」は、歴史的にきわめて重要な意義を持ちながら、顕彰作業が不十分のために、歴史的に風化され、低く評価されているきらいがあります。明治維新に詳しい京都大学の元教授、海原徹氏も、そのことを認め、次のように指摘されています。
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 「大田絵堂の戦いが幕末長州藩の進路を決定づけたきわめて重要な歴史的イベントであることは、論をまちがいませんが、なぜか今まで本格的な研究対象になっていません。おそらく勝者が作成した一方的な歴史観がこの戦争を意図的に無視、もしくは過小評価したためではないかと思います」「地域的なレベルでいえば、馬関戦争や高杉晋作の決起の舞台となった下関、松下村塾のある萩城下、それにもう一つ大田絵堂の戦いの舞台となった美東町の3カ所が、幕末長州藩における最大のヒストリカル・スポット(注・・・歴史的に重要な地点)として注目されてしかるべきですが、なぜか美東町のみがそうなっておりません・・・」
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続く⇒