_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_
富国強兵がなぜ悪い    平成二十三年十二月下旬     塚本三郎

富国をめざせ 

街路の銀杏並木が、黄金色に輝いて美しい。

年末は、あわただしいのが毎年のことである。だが、今年の年末は、そんな師走の声を耳にしない。そして不景気で暗い話ばかりが伝えられていることは、前号で報告した。

仕事が無いのではない。仕事が発注されないのだ。

 円高のために、アジアの周辺国へ工場を移して、生き延びようと、必死の努力を考える経営者のあがきの結果でもあろう。

 従業員の平均月給が約三十万円であるのに比べて、アジア諸国は十分の一以下であれば、心ならずも、生産工場を南のアジア諸国へと逃避せざるを得ない。トヨタの社長は、極力「国内生産を」と語っておられる。それでも背には変えられないとみる。

明治維新以来、日本は「富国強兵」が国是となって、今日の文化国家を築いた。

 その富国の根本には、「働くことが天命」と受け止める国民性が備わっていた。働くことの悦びは、「創意と工夫」が伴い、技術大国日本を自ら形成した。

 それが次第に軽視されて来たのは、敗戦による占領軍の政策であった。「自由と平等」は、わがままと怠惰、そして結果の平等は勤勉を軽視する、悪い教育へと落ちてしまった。

例えば坂を登るよりも降りるほうが楽であった。教育勅語を学校教育での基本から、わざわざ日本国会で外させたこともまた、自由の悪用と云うべきである。

 今一度、良いことは堂々と活かすべきである。その第一が学校で教育勅語を復活させることである。生き物には、すべて「生存競争」の性質が自然の道として備わっている。

だがその根本は、教えられてこそ知る。結果の平等は競争の原理を否定することになる。即ち、まじめに生きることをも否定する結果となる。

例えば、自転車は走っていてこそ、立っている。止まれば倒れるのは当然である。止まっていても倒れない為には「スタンド」が必要である。

 社会保障の制度は、自由競争に加わることの出来ない、生来の欠格者に対する温かい社会政策そのものである。それがスタンド役である。五体満足な者達が、競争社会に加わることを拒否する怠惰は、「わがままもの」の為の寝床としてはいけない。

 充分に働き得る年齢と能力を持ちながら、ハローワークの勧めも断って、民生保護に浸っている者には、保護の適用から除外すると断じたのは政府の英断と思う。

ピンチこそチャンス

 日本の国民性は、自分から新しい道を拓くという性格ではなく、外来の圧力に依る、相手からの護りに力を注ぎ、更に進んで、その外からの力を日本的に利用する。即ち相手の長所を日本的に変質させ、取り入れて活かすという、保守性、即ち守りが顕著である。

今日なお、良し悪しは別にして、アメリカの「力と能力の低下」がそのまま、日本への影響が低下し悪い点だけが残る。

日本は、今こそ自立の絶好の機会とし、日本人の長所を充分に活かす道を進むべきだ。

 期待と希望をもって迎えた民主党政権は、二年余を経て、いよいよその無能と劣悪な政治が、日本経済の危機と衰亡を前にして、解決の為の出口さえ見えない。

 それでいて、野田首相は所属する民主党のお家のみが大事で、権力にシガミツク。

選挙の時に公約した政策が実行できなくて、権力者が謝る時は、責任を取って辞職するのが、政治家の自負である。野田総理が謝るのは、ただ単に延命の為としかみられない。

 それは平凡な市民の、通常の生活習慣である。

 野田佳彦氏は内閣総理大臣ではないか。総理大臣が選挙公約を果たせず、それとは正反対の政策を行なわねばならなくなれば、謝って総理大臣を辞任するのが当然である。

それとも、今一度、誤りを正し、出直しますと宣して信を国民に問うべきではないか。

 野田総理は平凡な一市民とは全く違う、尊い地位の座に居る筈である。例えて云えば、総理大臣は富士山の頂上に立って、四方、八方を眺めつつ対処する地位と責任が在る。

 野田佳彦氏は未だ、山の麓に居て、四方八方どころか、自分が立っている富士山の姿さえ見えないのではないか。

 民主党国会議員が、野田さんを担いで麓をうろうろしているようだ。それでは、優れた官僚は、これ幸いと、財政再建は増税以外にないと、官僚自身の権力拡大に、民主党議員をもそそのかしていると、見られても仕方がない。心配が募るばかりだ。

このままでは日本国家は「ジリヒン」と落ちていくばかりである。

 幸か不幸か、日本経済は、「円高そのもの」で、日本政府は、逆にこれを活用すべきだ。

 富の裏付け無き通貨の増大は、円安となる。政府が円高を改めたいと願っている。それならば、逆に富国を目的に、公共事業を大量に発注する絶好の機会である。

 例えば、道路、新幹線、港湾、空港、共同溝、公共建物等。(二百兆円あれば)

 既に、その具体策と資金は、幾度となく本紙で論じておいた「政府紙幣の発行」である。新しい年は、経済の再興の年である。まさに、円高のピンチがチャンスとなっている。

 不況には、増税とか、無駄の削除が必要であることを認める。しかし、今日の政府には、その実行力は期待出来ない。また実行されたとしても、逆により大きな「デフレギャップ」を生み出すことが心配される。

国を富ませる為、国民を働かせる為の努に対して、余りにも消極的になっている。政府は、唯々、現在の「税収」と政策実現の為の収支「財政の帳尻合わせ」に縛られている。単なる正直で御身大切な政権運営とみなければならぬ。

 既に、財政当局も、日銀当時者も苦しさで「赤字国債の日銀引き受け」を暗にほのめかし、少しずつ行なっているやにみえる。(それは、隠された政府紙幣そのものである)

 政府は大胆にこれを実行せよ、そして国民をして、もっと働かさせよ。日本企業の工場を外国に追い出すな。企業の帳尻は合っていても、国力の衰亡そのものとなるから。

 来年こそ、日本国家が大躍進出来るか、そのまま衰亡の道を辿るかの分岐点となる。

 幸い、政界も、言論界も、徐々に、経済衰退の原因と、その対策を真剣に考え出して来た。日本人は土壇場に立たされてこそ、本心が現れるものとみる。

新憲法創設

省みれば今年一年は世界中が暗夜の如き一年であった。

 しかし、世界各国共に、有為の指導者が必ず居る。自分の国が低迷していて、黙視できないと、民衆のデモを中心にして、その動きは徐々に政変を招きつつある。

北アフリカ及び中東の独裁政権打倒の動きは、単なる情報としてだけではなく、その影響力がやがて文明各国と共に、暗夜から脱け出すアガキ、クルシミが重ねられている。

 ただ本年は、その動きが表明化しなかった。新年はその胎動が見られる筈である。

日本の国会も、漸く独立国らしく、憲法改正の議論が与野党共に表面化しだした。

 独立国として、自分の国の安全を、他国に依存して生存する決意を続けた、(憲法前文)。自立心無き今日迄の愚かさが、日本の国力を頭打ちにさせている根本である。

憲法改正は国会議員の三分の二以上の議決(第九十六条)の必要が明記され、その条件を、乗り越えるため、その条文の前にたじろぎ、改正の意志があっても動き得なかった。

 いよいよ改正の論が表面化しだしたのは、日本の窮状の根本に、憲法の実状無視の条文が多いことに与野党国会議員が、黙視出来ないと、決意が胎動し出した。

新しい年の夜明けは、新しい憲法創設の年にしなければならない。

自衛力の整備強化 

 連合軍の占領下に在って、今日まで自衛力整備の必要は少なかった。しかし独立し同盟国として、米軍の駐留を認めても、防備力を整備強化すべきは独立国として当然である。

 今日の日本周辺、特に中国の異常な軍事力増強と、対日強硬外交は眼に余る。

 日本国家にとって、今日一番必要なことは、防衛力の整備強化である。

 日本人は、正義心に富み、忍耐強く、法と秩序を重んじて居る民族である。

 日本が、その資質を充分に活用できなければ、日本自身のみならず、アジアの安全と平和にも、危機が増大するばかりではないか。

 日本の軍事力、即ち自衛隊の資質は、自国の防衛力だけではなく、日本国民、とりわけ、若人の心身を鍛える、教育と訓練の舞台ともなっている。

 日本が歪められた憲法を呑まされたのも、日本が正しく、強い国となることを恐れた。戦時中の「敵国の仇討ち」としての勝者の占領政策、特に「東京裁判」の強行であった。

 日本無罪の宣言をした印度代表のパール判事は、「戦勝国が敗戦国の指導者たちを捕えて、自分たちに対して戦争をしたことは犯罪であると称し、彼等を処刑しようとするのは、歴史の針を数世紀逆戻りさせる『非文明的行為』である」と称した。

 「この裁判は文明国の法律に含まれる尊い諸原則を完全に無視した不法行為」であると宣言し――ただ勝者であると言う理由だけで、敗者を裁くことはできない。

東京裁判は、日本を侵略国とするための茶番劇であった、とも語る。

パール博士は、その四年後、岸信介、永野重雄等各氏に招かれて来日した時は、朝鮮戦争の最中であった。博士は予言した。「東京裁判で国際法を踏みにじったために、今後も戦争は絶えることはないであろう、世界は国際法を弊履のごとく破られるであろう」と。

 世界は国際的無法社会に突入する。その責任は、「連合国の国際法無視の復讐裁判(東京裁判)の結果であることを、われわれは忘れてはならない」と。

 戦後、六十年余を経て、アメリカやロシアからの情報公開で自分達が、戦争の発端を仕掛け、日本軍をして、対戦せざるを得なくせしめたことが右両国から発表されている。

 問題は、日本国内の「敗戦利得者」の発言と行動である。そして、日本政府の現状に眼を背けて、衰退しつつある現状に事無きのみを念じている怠惰な国会にこそ、政治が機能していないことである。

民主党政権が誕生して以来、日本に起きたことは、一言で言えば「国防の綻び」でした。

 平和は力を背景に勝ち取るもの・国民の国防意識の喪失は、結果的に平和を遠ざけてしまう。(櫻井よしこ談)との同氏の叫びに、耳と心を傾けたい。                                


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