_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_
天下の暴論か、「政府紙幣」   平成二十一年五月上旬  塚本三郎

大不況には大事業で克服

米国に端を発した大不況の被害が、一番少ないはずの日本企業へ、津波の如く動揺を招いている。流行語となった「派遣切り」だけではない。正規社員も、就職内定の若い新卒者まで、その煽りを食っている。

世界一を誇る製造業の日本も、今日では生産の受注は半分以下。

人手が余り、設備が余り、運送業も、販売業も、注文が少ない今日の事態は、小手先細工では、本来の日本の良さが、やがて消え去ってしまう。

この際日本は、大不況に立ち向かい、百年に一度の大勝負をすべき時である。

第一は、戦勝国に追い付き、追い越した国民に、福祉政策を大胆に実施すべきである。

政府はまず二兆円の定額給付金を実行した。野党は種々と対案を出して、この二兆円は、来るべき「衆議院選挙対策」の買収ではないかと非難した。結果として、麻生首相の支持率が徐々に上がって来たから、そうともみえる。

百年に一度の大不況とあらば、種々の補正予算のミミッチイことでは効果は少ないから、結局は不況の大津波に消されてしまうと心配する。

追加予算で、思い切って国民一人宛、老、若を問わず更に十倍の二十万円を給付する。合計約二十五兆円を、自由に使いなさいと計上したらどうか。

或いは、当面医療費の減額や、年金を倍額する方法でも良い。

雇用不安も、中小企業の倒産も、家庭崩壊も、こと金銭に関する苦悩の大半は、これによって解消する。政府は国民の為に在るのだ。今日まで日本を支え、盛り上げて来た国民に対して、この際、襲い掛かる大津波に、政府が立ちはだかるべきではないか。

もちろん、寒風の下では、身を引き締め、今迄の繁栄を感謝する体制を指導することも必要である。だが今回は、それと共に、大胆な施策を行うことが日本政府の使命だと思う。

第二は、大胆な国防態勢の確立と、公共事業を実行すべきである。

テポドンが、日本の上空を越えて太平洋に落ちた。日本と米国は、既に準備段階から北朝鮮に注意、警告を発したが、無視された。

平和維持を使命とする国連は、安全保障理事会でも、まともに取り合ってくれなかった。最大の分担金を払っている日本国としては情けない実状である。

隣の共産主義国に対立している同盟国の米国でさえ、自国の領土に、直ちに被害が及ぶことがなければ、かくの如き状態とみる。

日本の主張を無視した彼等は、自国領土の上空を、今回の如く、他の独裁者がミサイル発射を堂々と予告し、実施しても、何とも思わないのか。否、彼等ならば報復攻撃を行ないかねないであろう。独立国家としての尊厳を侵されたのだから。

この際日本は、思い切って防衛力の整備、即ち、陸・海・空の軍備を、経済力と能力にふさわしい体勢と、充実を計るべきである。実力なき外交交渉は無力であることを、今回北鮮のテポドンは示してくれた。

国連の偽善も、中、ロの両国が常任理事国である以上、彼等の数倍のお金を出している国連に対して、付き合い方を根本から再考すべきだ。

第三には公共施設の充実として、大型船の岸壁横付け出来る各港湾の整備、空港の拡張と、着陸料の大幅値下げ、鉄道網の充実と伸長、更に福祉施設の追加支出等々、まず防衛力強化と合せて年間十五兆円の追加支出を実施せよ。近年、公共事業は年々減額され続けて、中・小の建設業界は倒産が相次いでいる。

先に述べた、国民への給付金二十五兆円と、防衛及び公共事業費十五兆円を加えて、まず四十兆円を、追加特別支出して、「不況何するものぞ」と立ち向かうべきである。

政府紙幣の発行を―問題は、その資金をどうして賄うのか。

目下、日本の抱えている財政は、世界一悪いとの定評である。年間のGDPは約五百兆円。それと比べて、中央政府と地方自治体の抱える国債等借金の合計は約一千兆円。

しかし、この政府の借金は、日本国民からの借金で、他国からは一円も借りていない。

まして、米ドルや、ユーロを日本が大量に買い入れているから、結果としてそのまま他国に貸している日本の財産である。米ドルのみで約一千億ドル(約十兆円)である。

とりわけ日本円の利息が安いから、各国の金融機関は、日本円を大量に借りて、その金で、日本の優良株式を取得したり、金利の高い国の通貨を売買して利ザヤを稼いでいる。円のキャリーと呼ぶ。東京株式市場の取引の半分以上は、外国勢だと聞く。

このまま、従来の財政方針を続ければ、十年間は緊縮財政の泥沼に沈んでしまう。それ等のすべてを克服する為、約四十兆円を造るのは、まさに「打ち出の小槌」を必要とする。

日本政府は、日本銀行が発行している紙幣とは全く別に、直接「政府紙幣」を発行する。

日本政府は、日本銀行の手を経ずに、政府自身で紙幣を発行することは、返済も、利払

いも必要としない。国民にも、外国にも国債として売らないから。年に四十兆円。これを二年続ければ八十兆円になる。この資金が国中に流通して、国民への支給と、公共事業発注の資金に充てれば、それこそ、大不況に敢然と立ち向かってゆける。

収入なくして、支出のみを考えることは、人間生活としては不道徳であり、政府財政としては、不純であることは言うまでもない。それを承知で、これを実行せよと主張する。

今日の日本経済は、デフレと呼ぶ大不況に直面している。

仕事がないことが雇用不安となり、中・小・零細企業は、自身の不始末ではなく、世界不況の大津波のあおりである。それを妨げ、国民を守ることが政府の任務である。

政治は時として、不道徳なことも、或いは不純なことも、止むを得ず行わねばならないことが数々在る。

まして今日の日本経済には、年間八十兆円と呼ぶ経済上の「需給のギャップ」が在る。働きたくても働くことの出来ない日本産業を、遊ばせておくことこそ、政権にとっては不純ではないか。二年で八十兆円の「打ち出の小槌」によって政府紙幣を造ることと、デフレで、いわれなき休みと、失業を放置することと、どちらが不純なのか。

強国日本建設の道をくこととを比べ、よりベターの道を選ぶべきではないか。

円高の難を避ける

 戦後の日本経済は、貿易立国として、今日の繁栄を築いて来た。経済発展と比べて不似合いな程に、日本人は生活を切り詰めて今日に至った。資源の不足が原因でもあった。

 世界的大不況は、日本に対し円高を招き、結果として資源が安く手に入り、日本人の生活が、内需拡大を求めて、経済大国らしい生活が出来る幸運をもたらした。

 国際通貨のドル及びユーロが安くなったのは、日本の円に対してである。それは日本の各企業の健全性を物語る。日本経済が、円高を活用し、内需拡大により、市民生活の充実を計る良い機会となったが、ことはそれだけで治まるものではない。

 日本経済の強さは、製造業の充実に在る。而も、その生産品の半分以上を、輸出に頼らざるを得ないことは、今日といえども変わらない。製品を受け容れるお得意が、不況に苦しみ、かつ円高が進むことは、そのまま日本経済の首を絞めることとなっている。

 日本が誇る会社トヨタ自動車は、一円の円高によって、四百億円の損失が出ると伝えられる。輸入で得をしても、輸出で損をする。それが「貿易立国」日本の宿命である。

 為替レートの変動は、自由貿易の基本を揺るがしている。特に基軸通貨発行元の米国が、景気回復のため、安易に「七十兆円の支出」の声明を実施すれば、忽ちドル安となる。

米国が生産なくして消費の拡大を声明すれば、自らドル安となることは避けられない。云わば米国のドルこそ、裏付なき「政府紙幣」そのものではあるまいか。

 日本も、ドルを国際通貨と認め信用するならば、円安を求めなくとも、悪性インフレにならない程度の、円高を喰い止める役を、政府の金融政策として考えるべきだ。

 日本の通貨、円をして、米国のドルとのバランスを計るべきは当然ではないか。欧州は既にユーロを立ち上げて、独自の道を進んでいる。中国さえも、アジアに於いては「元」を通貨とせしめつつある。日本が「円の経済域」を考えることは一考に値する。

その前に、当面、円高の急上昇を阻止する為に、絶好の機会が訪れたではないか。

 「円高克服」「安全保障の充実」「国土の整備」「社会保障と福祉制度の整備」、「輸出貿易の確保」と一石三鳥の時を迎えた。その対策が「政府紙幣」の発行と思う。

 近年、我が国の、某学者の説では、デフレギャップの形で年々四百兆円余の潜在実質GDPが実現されずに失われていると説く。インフレによる庶民の悲鳴は、マスコミを大きくにぎわすが、デフレの惨事は、殆んど報道されずに過されている。

 通貨の発行は日本銀行の専権事項である。その中立性と自主性は、政治権力に左右されない。だが日本銀行と雖も、政府の指導と運用に、一切手を触れさせない訳ではない。

 わが国の現行法(昭和六十二年法律第四十二号)で、日銀券とは別個の「政府貨幣」(政府紙幣および記念貨幣をも含む)についての「発行特権」が国に無制限に認められている。

国家の危機に直面すれば、その例外を、歴史上省みれば、次の二点が日本を救った。

 明治二年、戊辰戦争後の戦費支出を含む、維新政府の財政支出の九四%が、坂本龍馬と由利公正の献策に基づいて、政府紙幣即ち「太政官札」の発券収入によって賄われた。これが維新達成の決定打であった。

また、これとは逆の、インフレ抑止の例として、日本は敗戦直後、経済が極端なインフレを招いた。発行通貨に似合う物資は絶望的とみた新政権は、インフレ終息のため、日本銀行券、即ち旧円の封鎖を命じた(使用禁止)。そして新しい通貨(新円)の発行を行って、新紙幣のみの流通を行った。

 戦後の日本政府が、金融政策に­­­―一ドル「三六〇円」として、国際舞台にデビューして以来二十年余。―それが、ドル・ショックとスミソニアン協定で「三〇八円」に下がり、―プラザ合意によって「二五〇円」へと認めさせられ―やがて、昨年の夏までに「一二〇円」へと半分に下落した。―そしてリーマン・ショックに伴って、いっとき「九〇円」を割り込んだ時さえあった。これこそ国家の危機である。

 〝経済学者の頭を打てば、需要供給の音がする〟。これは経済学の初歩だ。実体無き通貨は下落する。当然の結果である。不況の対抗として、今こそ「政府紙幣」に踏み切れ。