_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_
本末転倒の日本        平成二十一年三月上旬  塚本三郎

憲法の前文と第九条は、今日の世界情勢の中では、余りにも不条理となっている。その結果、日本国は法治国家で在りながら、憲法無視のまま、ずるずると、その日暮らしを続けている。

憲法の前文と、九条を無視しなければ、国は主体性を保てない。憲法がまちがっているから、憲法を改めるまでは、この条項を無視することが、政治家の必須の条件である。

憲法は国家の基本法である。ゆえに日本国家と政府は、法治国家を自負し、世界最の経済大国と認められているならば、現実に対応して、改正を行うべきは当然である。

なぜ新憲法の制定と改正が出来ないのか。その真相を突き詰めて言えば、憲法そのものに改正出来ないほどの、三分の二条項があって、身動きができない。理由の

 第一は、権力を握っている、国会議員が不勉強であり、国家の前途が危機に直面していることに気付かないことである。

 第二は、気付いている人が相当数居るのに、抵抗する左翼勢力に気兼ねして、改正を言い出す勇気を持たない、国政を憂うるよりも、自己保身の議員が多いとみる。

 第三は、不勉強で、単なる信仰者の如く、自らが戦争を仕掛けさえしなければ戦争にならないと信じこみ。日本軍悪者論「即ち自らが乱を起さないこと」が平和を守り抜く第一だと狂信している。これは世界の戦乱の歴史を無視した認識である。

 無防備・無抵抗を、平和の道と信じ、その宗教的信念を貫く生き方は尊い。しかし、この様な生き方が、政治の世界では、長期に維持出来た例は歴史上には無い。

第四は、他国の思想と威圧に共鳴する「売国奴的議員」が日本国会に相当数居ること。

 第五は、日本の周辺国は、殆んど共産主義、独裁政権の群に取り巻かれ、それ等の国は常に日本のマスコミや、気の弱い議員を謀略の対象として工作し、その上日本国民の愛国心を削ぎ、平和の美名で、国家の弱体化の役を、結果として果たしている。

第六は、これが一番の問題だ。「マスコミの相当数が、他国の謀略の手先」となって、日本の国民世論を指導しているから、世論を気にする議員は、それに心ならずも迎合しており、まともな為政者が、正論を主張出来なくなっていることである。

防衛力が悪なのか

問題とされた田母神元航空幕僚長の論文は、決して、新しい歴史認識ではない。まして政府を非難する声明でもない。自衛隊の一指導者としての信念と、愛国心を語ったに過ぎない。ただ、語り継がれた内容でも、制服の幕僚長が正面から論じた処に意義がある。

それは、歴代政府の防衛に対する恥部を指摘されたことになるから、政府は黙視出来なかった。

折角、与野党が田母神元幕僚長を国会に呼び、彼の防衛論を正しながら、自分の考えを述べるなと、国会の責任者はまず釘をさした。一体何の目的で喚問したのか。

自衛隊員の発言を封じ、しゃべるなの一点張り。それが文民統制と国会議員は勘違いしている。防衛力の不備を論じられる事を、与野党議員は恐れたのかもしれない。

軍部は政治的発言をするなと、国会で田母神氏に云うが、国の為に命を投げ出している軍人が、国と政治の事を最も心配している。国を考えない軍人は、命を捧げることはないであろう。

政府の命令に反しない限り、軍にも思想と信教の自由が在ることは当然である。

昭和のクーデターの主因は、財閥の強欲とやりすぎ、政党政治の無策が前提に在った。

クーデターで軍が行動するより、政府の命令に違反していない限り、言論で意見を堂々と表明させるほうが平和的であり、民主的ではないか。

日本には、国を貶める言論の自由は沢山あっても、国家を守る言論の自由はないようだ。

無防備こそ、平和のすべてと誤信させて来た、誤った東京裁判史観が今も続いている。特に共産主義の当面の目的は、ただ日本国家が、無力となることだけが狙いだと言いたい。

戦後の日本では、親日的な発言の自由は極めて制限を受け、逆に反日的な発言の自由は無限にある、だから自分の国の悪口を言っても全く問題にならない。

マスコミの相当数は、反日的思想を「平和維持」の錦の御旗と掲げ、それは非武装だと心得ている。最初から、軍事力を「平和の破壊者」と位置付けているのではないか。

国歌と国旗の掲揚に反対する「日教組」を叩きつぶすと発言した、中山元文相はクビになった。法律に反した、「反日教育の日教組」はお咎めがない。悲しい国情である。

与那国島は台湾のすぐ隣で、侵略される心配の多い危ない処だ。自衛隊基地誘致に住民は大賛成である。その日本人の与論を、日本のマスコミは殆んど報道しない。

ゆえに本土の国民は逆に受け止めている。侵略を意図する国は、直接軍事戦略で日本国を乗っ取ることは困難だから、情報機関を乗っ取るか、対馬のように、土地を買い占めて、気付いたら占領されていたと。そんな事態が迫っている。

沖縄の反戦基地、反戦地主、の実態を調べてみれば軍用地主は四万人。

そのうち、米軍に土地を貸さないと云っている軍用地主は約三千人。そのうち、千五百人は沖縄に住んでいない。東京や大阪に住む左翼の一坪地主と聞く。

狭い処に七十六名の所有者で、一人あたりテレホンカードの半分の土地の大きさ、土地

代金が半年四円で、支払いを振り込むのに、手数料が八百八十円かかるという。ニセ平和主義者に振り回されている沖縄の実体の一部である。その事実は国民に知らせない。

 偏向した、このような報道姿勢に、日本人は徐々に気付きつつある。だから国民のうち、たとえ二〇%でも三〇%でも保守勢力との自負を貫いている指導が、主張を貫けば支持する若者も沢山居る。大衆は徐々に気付きつつある。

政治には愛国心と自負心

愚かな保守的な人は、マスコミに媚びる。とりわけ、歪められた世論に動く政治家の愚かさが悲しい。トップの人は、部下にハシゴを外すな。

『「靖国神社参拝」と、「村山談話」』踏襲で、新首相就任者には、マスコミの首実検をさせられている。愚かにも、波乱を避けて、心ならずも同調させられ歴代首相は相槌を打つ。

新首相は「靖国神社へ公式参拝する」「村山談話を否定する」と発言して、逆に、彼等マスコミがどう出るか、堂々と「マスコミをテスト」せよ、それが一国の指導者の資質だ。

官僚を非難する政治家は、自分の愚かさかげんを暴露することと同義語である。

政治家が、官僚をうまく使わねば政治にならない。国会議員は人事権を行使し、指示する地位に在る。法律を創り、その条文を実行せしめる責任と権利が国会議員である。

官僚を非難し罵倒するだけでは、有為の人材は官僚にならなくなる。それが為には、まず政治家が、官僚以上に勉強して、庶民の立場に立って行政を指導すべきだ。

歴史は戦争の勝者が書く。今日の歴史は、敗者日本にとっては歪められ、押し付けられて、侵略国家にさせられている。しかし、歴史は確定するものではない、新しい事実が出てくれば書き直すことが当り前である。

五百族頭・防衛大学長は、首相の「靖国神社参拝で、どれ程アジア外交をマヒさせたことか」と、反日的言動を述べたが、それらの人々を、放置しておいてよいものか。

 アジア外交を歪めているのは中国である。日本の正論を無視し、日本を永久の侵略国と規定し、在りもしない難題を持ちかけて、幾多の賠償金をグズリ取りつつある。優柔不断の日本政府は、その謀略を見破るべきだ。その関門が、「靖国神社参拝」実行と「村山談話」無視である。軍人が好戦的とか、暴走すると云う発言は、世界広しと雖も日本のみだ。

日本は独立国だ

日本の青少年は、戦後、「自由」と「権利」の主張が大きく教育されて育った。しかし、それに伴う「義務」と「責任」については軽視されて今日に至った。

それが家庭と社会の秩序を失い、混乱を重ね、凶悪犯罪さえも驚くに値しない、すさんだ社会と化しつつある。時代を背負う青少年に対して、戦前の教育勅語に含まれた精神を小学校の教育に取り入れる必要がある。更に青年には、一定期間、団体生活を求め、規律と共同精神、及び愛国心を身に付けさせる必要を痛感する。ドイツはそれを行っている。

集団的自衛権を認め、日米同盟の実を示すべきである。

インド洋の給油も、日米洋上の合同訓練と給油も、ソマリア沖の警備行動も、自衛隊は自由の各国と歩調を揃えて行動すべきである。

次に非核三原則のうち、核を持ち込ませずを改め、二原則とし、その上で、平時は米軍が核兵器を持ち、戦時になったら、日本へ渡してもらう、それはNATOの如くすべきだ。

既に、主権の侵略を受け、百余名の日本人が北朝鮮に拉致されて、二十年余が過ぎてしまった。日本は独立国家なのか。

拉致で政治が動かない、ならば軍が動いたらどうなるか。「戦前の関東軍の如く」とマスコミは騒ぎ立てるだろう。自衛隊が独自に、密に調査研究と準備を重ねて、独自に拉致者を救出したら、国民は拍手喝采するだろう。しかし、政府は腰を抜かすだろう。

北朝鮮は、対抗して何をしてくるかわからない。しかし、ことは人権のみではなく、北朝鮮からの、国家主権の堂々の侵略である、それを恐れて、侵略を黙視しておれば悪は更に続く。戦争を挑発すべきではないが、主権侵害を放置しての平和で良いのか。

六カ国協議に望みを継いでいるのは、もはや逃避ではないか。代表の中国が如何なることをしているか、政府は知らないはずはなかろう。日本は変わった。日本人は普通の独立国としての魂を取り戻したと、世界に示すべきだ。

日本は、百年に一度の経済的大不況とともに国家主権の存否の危機に直面している。

日本は、北朝鮮のみならず、中国や、韓国とも、領土と領海を侵されつつあるのに愚痴るだけではないか。日本国民はいらだちながら、もうあきらめに変りつつある。 

日本は既に、精一杯周辺の国々に、経済と技術の支援を行なって来た。それでもなお見下されている。主権国家としての威厳と行動を示さないからだ。

日本は怠惰な商人国家に堕ちてしまっている。これではいつまでも卑下されるだけだ。国会は国民に自信と希望を与えよ。

それを実行すれば、多くの波乱や動乱が予想されよう。それでもなお、思い切った日本の主権を内外に示すべき時だ。