_塚本三郎元民社党委員長小論集_

日本社会と政治の展望   平成二十四年十一月上旬    塚本三郎


長寿社会に直面

 極く親しい友人から、子供の将来について相談を受けた。
 自分の子供は、医科、歯科の医師となることは無理だから、せめて犬猫の医者ならば出来ると思うと語り、犬猫病院開設を知らされた。それは二十年まえのこと。
 最近、彼が訪れて、息子の商売は大忙しで大繁盛だと語った。
 我が家は、名古屋市の静かな南部である。住人は老人が大多数で、人呼んで「シニアタウン」と称される。比較的豊かな人達の、二階家一戸建てが多い街である。
 殆どが老人夫婦の住居で、成人した子供や孫達は、勤務の関係で、親とは疎遠の別居家族と化している。
 それでも老夫婦が揃って居る間は良い。連れ合いがなくなれば、余生は余りにも寂しい。子供は、孫の成長に心を奪われて、親孝行をと思っていても、実が伴わない。
 近所に画家が居られて、毎週、日本画の教室が開かれ、希望者は奥様ばかり。
 その他、フラダンスの会、特に書道の会は盛大である。老人に仕事があればと願うが。
 周囲には、独り暮らしの寡婦が目立つから、夜になると、どこからともなく電話が鳴る。女房が応答する。その長電話、夕食時の温かい食事が冷たくなっても、女房が気をきかして切ろうとしても、相手が話を続けて切れない。約三十分の長電話が、折々。
 老人の健康には運動が不可欠となれば、運動の友は犬である。朝の公園ばかりではない。我々の住む坂道は、独りで歩く老人は少ない。時には、大・小二匹も連れて犬の運動即、自身の退屈凌ぎの散歩で、家の前の道は、人畜通りとなっている。
 時には犬の糞を残したまま去り行く人も、ままある。
 各戸が、子や孫が居ない訳ではないが、親と同居して居ないだけで、頼りになり、心を慰めるのは、反抗しないから、家庭内では猫、道路では犬こそ、素直な友であり、子供代わりとされている。 その結果、犬猫病院は大繁盛となる。
 それも一つの人生であろう。だが日本社会は、高齢化時代であるならば、高齢者に最も必要なことは、老後の前向きの生き方である。

 六十歳定年を十年延長して、各職場で七十歳まで、安心して若者と同じ職場で働くことが出来る体制を、官も、民も、改めて再構築する必要がありはしないか。それには雇う側の給与問題、若者への軋轢等々、対処すべき問題は少なくない。されど、老人が八十歳までは、働き得る希望を抱かせることが、寿命を保たせ、まして技術の海外への流出阻止と確保、またそれ以上に、健康の為の「医療費の削除」に役立たせることになろう。
 定年近くの熟練者が、韓国や中国へ、大切に乞われ、雇われてゆく。その結果、日本の技術と熟練が、その国の製品として「商売仇」となっている例も多い。
 人生僅五十年と呼ばれた時代から八十年へと、三十年もの長寿を保ちながら、職場のみは、六十歳定年の壁は、政治の舞台では、悦びよりも「政治不信の壁」と化している。
 日本国は、経済も、社会文化も、更に教育、技術の面でも、世界中で、断突の優位を誇って良い。されど政治の世界のみが、それに比べて余りにも遅れているのではないか。
 我々のやがて行く先は、老人病院で公設が満席繁盛で、順番待ちで仲々入れてくれない。仕方なく高額の私設病院へ行かざるを得ないようだ。
 医療及び保障制度の進歩は、病人も長く生きられつつある。〝早く家に戻してくれ、せめて「自分の家で死を」迎えたい〟。そんな友人の声を伝言で耳にすることが多い。
 極く親しい友のお見舞いに参上しようと、家族に状態を尋ねると、本人は意識がなく、誰かの識別が出来ないから、折角来て下さっても、無駄になるからと断られる。
 老後にも慣れた職場で、後輩を育て、無理なく働き、生き甲斐のある場を設けることが政治の責任ではないか。仕事も、技術も、自発的に働くことが出来れば理想の日本となる。
 病院での延命治療のみが天命ではない。

突然の暴挙か

 三年半前の選挙で、大勝利を収めた民主党が政権を担当してみて、自分の政党の幼稚さを悟り、重ねること三代。各首相の発言と行動を、国民の眼は期待がいらだちに変わった。
 その心情を深く汲み取ったのが、同じ政治家ながら、地方自治体の首長であった。
 東京都、大阪府、愛知県、大阪市、名古屋市等、揃いも揃って大都市の首長が、維新とか、太陽を名乗って、中央政界の「第三極」たらんと「ウブ声」を挙げた。
 問題は、この首長達が「官僚支配の打破」「地方政治重視と分権」をと大筋では一致した方向である。日本国会と中央集権的政界の「欠点を指摘」して立ち上がった。
 小異を措いて、大同に就けとの、最長老・石原慎太郎氏の提唱につれて、各首長がそれぞれ、その政策大綱のスリ合わせに早速一歩を踏み出した。
 その先手を打って野田首相が、11月16日衆議院解散を断行すると突然に発表した。
 党内でさえも、極く少数の幹部しか打ち合わせは無かったとみる。民主党内の大混乱は、恐らく、党内の存亡をかけての対立と抗争を拡げつつある。
 だが民主党のみではなく、「第三極」を目指した各地方政党の衝撃も更に大きいとみる。
 投票まで僅か一ヶ月。大同団結への理念や政策のスリ合わせは、未だ進んでいない。
 野田首相は、先ず第一に民主党内の不満分子、つまり延命をのみ願う一年生代議士たちへの解散反対勢力に、反旗を挙げる前に先手を打った。加えて野党である「第三極」を目指す各新勢力に準備を与えないとの、二つの目標を狙っての「暴挙」と見られている。

 11月13日、民主党は常任理事会を開いて「解散反対」の決議をした、輿石幹事長は院内の大臣室に出向いて、党の意思決定の内容、党内は反対一色だと首相に淡々と伝えた。 今一つは、日本政界の第三極で、東京の石原と、大阪の橋下などが、ガッチリ組んで「相討ち」しないよう、候補者を統一候補として組めば、手ごわい相手となろう。
 野田首相は以上の二点を重視し、予見しての対応が突然解散の断行とみるべきであろう。
 「相手が一番弱い時、そして自分が一番強い時に」戦いを挑むのは、争いの常識である。
 それこそ首相のみが持つ唯一の特権である「衆議院の解散権」の執行を、最も必要の時と見た首相は、最初にして最後、そして最良の選択を行ったとみるが如何か。
 その評価は、野田氏らしい選択であった。彼は日本国家の最大の権力者であり、最大の責任者である。国家と、所属政党のことよりも、自分の「地位と名声」を第一に優先する選択を行ったとみられている。時を過ごせば、ノタレ死を予見したのではないか。
 その結果、民主党内は大混乱を招き、政権与党としての結末では前例の無い程の惨状である。党内では、これを「暴挙と悲鳴」の渦である。
 勿論、その結果の功罪は歴史が評価することである。

変わらなければならぬ日本の宿命

 日本政界は、内外共に一新を迫られる政局となりつつある。
 民主党政権の混乱と迷走による危機は、衆議院の解散によっては、与党の崩壊とみられていた。それに対処する自民党が、政権復帰近しと、支持率を高めつつあり、特に安倍晋三氏を迎えた自民党首脳は、政権奪回の体制を確立しつつある。
 安倍総裁の一言一句が、マスコミでは「通貨と株価」の上下を、敏感に反応しつつある。
 問題は、支持政党なしの国民世論が第一位で、政局の危機を憂いている声を、敏感に受け止めているのが、「日本維新の会」であるとみる。
 加えて石原慎太郎前都知事の「小異を捨てて大同へ」の第三勢力結集への叫びである。
 橋下氏の維新も、石原慎太郎氏の団結論も、直面する日本を憂いての出発である。
 汚れ無き「新進気鋭の橋下氏」と、政界の裏表を経験し、「すべてを知り尽くした石原氏」が、硬軟合わせて一致協力体制を築くことが出来れば、第三勢力ではなく、自民に対抗出来る、民主党に代って「保守対中道」の二大政党への道を拓くことが出来るかもしれない。
 民主党政権の解体による健全な労働組合もまたその中へ合流すべきと、期待する。
 日本の二千年に及ぶ歴史は、人類社会の発展と歩みを「天皇を中心」に、一つの集団にして、現状から一歩ずつ「改善と改新」を積み重ねて、長い歴史を積み上げて来た。
 大変革と称された、あの明治維新も、その基軸を外すことはなかった。
 それゆえ、あの敗戦後の日本と云えども、吉田内閣以来の保守政権が、日本をして敗戦後の廃墟を今日へと再建せしめた。それを省みるとき、理想を言えば、「保守か革新か」ではなく、「保守か中道か」の二大政党対立こそ、真の日本政界の在るべき姿だと信じている。

 過去を論ずれば悔いが残るが、六十年安保騒動の大動乱の最中で、私共は日本社会党を離党して、中道の政治「民社党」の結党に踏み切った。
 しかし、時期尚早とされ、加えて浅沼社会党代表が、テレビでの党代表討論実況放送中、兇漢による死となった、ショッキングな事件などが禍して、その理想と希望は消滅した。 
 既にあれから約半世紀を無意味に消費した。
そして今日、「最悪のニセ革新政党」、民主党の混乱の下で汚れ切った三年余を体験した。だが、その混乱こそ、日本国民をして、改めて日本人としての自覚を再生せしめ、新しく、理想の政界、即「保守政党対中道政党」誕生を迎える気運が拡大されつつある。
 12月16日、衆議院選の投・開票を野田首相は突然発表したことで国民の判断は如何。
 三年余りの、民主党政権の評価や、経済再生・成長戦略、エネルギー政策、外交・安全保障などが、争点となる見通しである。
 民主党内は、野田首相の「近いうち」解散を年内に実施を迫られていたし、本人も、それ以上は逃げ切れないことを覚悟していた。 それを察知した党内では、解散すれば、惨敗は明らか。特に比例で漸く議席を得た議員は絶望とみて、年内解散反対を強めていた。
 野田首相は、何も決められない首相として汚名を残すよりも、断固として解散をする。それには、自民党が足並みの揃わないTPP参加の問題を持ち出し、また、議員定数四十名削減等、大義名分を掲げて戦えば、傷は少なくて済む。野田首相自身の大義は、日本国の将来や、所属する民主党の盛衰よりも、「自らの名声」の大切さを選んだとみる。
 しかし、そのことは結果として、期せずして日本の国家の為となって来たことを悦ぶ。




Copyright (C) 2012 Geibundo All Rights Reserved