_塚本三郎元民社党委員長小論集_

終末を迎えた民主党政権    平成二十四年六月下旬    塚本三郎


消費税増税にかける野田首相           

 野田首相は、消費税増税に政治生命を懸けると宣言している。
「これによって、社会保障の将来像に不安がなくなるとし、国民の消費意欲が喚起され、経済が活性化されると信じている。――政府によると増税分は社会保障に充当し、国民に還元されるから、景気は悪くならない」と云う。
 日本の消費税は、文明諸外国に比べて、最も低い、例えば韓国一〇%、米国一五%、北欧諸国二〇~二五%だ。それゆえ自民党の一〇%の主張は、当を得ている。
 日本政府の背負っている借金(国債)は、約一千兆円で、国民総生産(GDP)の二倍を超えており、世界中で最高率の負債を抱えていることは重大事である。
 加えて、社会保障に要する税は、人口比率の高齢化に伴って、年々増加している。
 直接税のみでは、日本政府の財政は持たない。いや諸外国のすべては、「直、間比率」を併行させている。野田首相の主張はその点では正論である。
消費税増税そのものが悪いと言うのではない。
だが、不況下での増税で景気がよくなった例はない。日本の現実は「慢性デフレ不況」の真っ只中である。二〇一一年の名目GDPは一九九七年に比べて一一・五%、四十五兆円も減っている。
政府に先ず求められることは、「景気の回復」である。消費税の増税は、むしろ景気後退の引きがねとなり、消費の減退となるのが過去の例であると識者は警告する。
重ねて云う、物事を行なうには、時期と、対応が必要である。特に増税に対しては、その点を高所から判断すべきで、目下、最大の政治施策は、一にも二にも、景気回復である。
 景気回復、デフレ解消こそ、日本人の働く意欲を活かすことでもある。
 働きたくとも、その仕事が無ければ働けない。日本人は本来、働くことこそ、生きているための天命と信じて育てられた。
 今日の日本社会は、GDPで五百兆円を割っている。本来ならば未だ、二百兆円から三百兆円を増産出来る、増産の余力が残されている。今日の日本は、生産の余力を捨てている。「もったいない」の一語に尽きる。国民の怠慢ではなく、「政治の怠慢」である。
 問題は、これに挑戦する政府の「インフレ・ターゲット」の実行である。
 日本は、資源不足により、インフレに苦しめられた歴史の連続であった、その「病状の如き」インフレのみが、日銀の頭から離れない。
デフレには、民間企業が不足している事業の代りに、政府が公共事業と云う名の、政府発注の、国土発展の為の、各分野の仕事を注文する。ケインズ経済の原点は、そこに在る。
野田首相が消費税増税に、政治生命を懸けると言うのは逆ではないか。
自分の政治生命は、そんなに長くは続かないことを悟っているからだろうか。
ならば後世に名を残した竹下登元首相にまねて、消費税を増やし、華やかに散れば良い。
政治家の立派な事績となる。それも政治家としての、一つの生き方である。

公約違反と優柔不断
 それには、消費税が成立したら、直後に国民に対し信を問え、と衆議院の解散を迫る。
解散総選挙を行なえば、民主党の敗北は避けられないようだ。
 そこで野田首相は、自民党と組んで、増税成立によって名を残すが、解散によって身は直ちに亡びても良いとするのか。解散には、民主党内に反対の大合唱が待ち構えている。 
 それよりも、与党も、野党も、自分本位の国会運営で、消費税増税には「進むことも退くことも」出来ないと、採決を先送りして、来年まで「何も決められない内閣」となり、生き恥を晒しても、権力にシガミツク「政権亡者」に終わるのか、その真意が見えない。
 何も決められない内閣との悪評が、野田政権の定評である。
 何も実行出来ないことを悟らずに、の総選挙で、大衆迎合の「各種バラ蒔き」政策を、無責任にも公約として掲げて勝利した、その結果の民主党政権の末路である。
しかも、その時の主役小沢派を除外しての組閣であれば、まず足下から反対の声「公約を守れ」が、「正論として」飛び出して来る。野田首相としては、覚悟の上だろう。
 生き残る対策として、自民党旧政権代々の、政策に歩み寄るより仕方がなかった。
 政策として、まず自民党にスリヨルことで、協力が得られつつある。
それでも自民党は、選挙のときの公約を、殆んど捨てての歩み寄りだから、改めて「選挙を行なうこと」を条件としての協力になる。それこそが民主政治の原点だよと叫ぶ。
 日本国家は、敗戦の汚名を受けたりとは云え、アジアに於いては、絶対的信用を得ている超一流の強力な国家である。
そして日本国民も、世界中で最も信頼されている一流の民族である。
残念なことは、民主党政権が、盲目的国政運営を重ねていることである。
野田首相の真意を、国民はもとより諸外国も量り兼ねている。言行が不一致であるから。消費税増税に政治生命を懸けると、何度も宣言してみせたが、未だ信用出来ない。国会に提出されている、幾多の諸法案は、歴代政権のうちでは、最低の成立であるから。
 弁明だけは鮮やかである。親切な解説は善人そのものに聞こえて来る。
首相が敵を作りたくないことは理解する。しかし、政治政策に反対は付きものである。
何も決められないことは、敵を作りたくないことの裏返しである。
 現在の日本は、極めて厳しい状況下に置かれている。政治も、外交も、経済も、超一流を果たさねばならぬ日本の立場に在りながら、三流の仕事より行われていない。
 何も決められないこと、何もしないことは、日本国家の進む道を塞いでいることになる。
 それは怠慢ではなく、結果として、「日本国家衰亡」への道を進めていることになる。だからこそ、国民は政治の出直し、即ち国会の解散を求めているのだ。
 野田首相は、今こそ総理大臣としての、国政の方向を実行によって明示すべきである。
 民主政治が数の政治であるから、国会内や、与党、野党、各政党の動向を見極めなければ、方針は決めにくいことは充分に承知している。
 しかし、一国の最高責任者が、「あなたまかせ」で時を過ごすから国民は苛立っている。
 だからこそ、強力なリーダーシップを発揮することが生き残る近道だと思う。
いや、生き残れなくても良い、せめて一身に非難を浴びても、初心を貫くと決意せよ。
 客観的には、漸く自民党との協力に踏み切ったとみる。党内で、反旗を翻す小沢一派には、非協力は覚悟の上との表現が、今度の内閣改造で示されたとみる。

森本敏防衛相は本物か
 第二次野田改造内閣は飽くまでも野田首相らしい、小手先の手法が垣間見える。
 それでも、最悪の人事と冷笑された、悪評の防衛大臣を、改造の名目として、森本敏防衛相を起用したことは一応評価しよう。
 国会内でも、政府内でも、まともな議論さえ出来なかった安保政策が、漸く普通の大臣に戻せたと云うことか。
 真っ先に、日米合意に基づく、普天間飛行場移設問題や、北朝鮮の核・ミサイル開発や、中国の海洋進出で、日本を取り巻く、安全保障環境が厳しくなるなかで、森本新大臣が、彼の持てる専門的な知識が、どれ程活かせるのか、国民は大いに期待する。
 とりわけ、日本の立場では、憲法の大きな縛りが在る。その中で「集団的自衛権」の行使容認や、「武器輸出三原則」禁止や、「非核三原則」等々、独立国では在り得ない縛りを、どう踏み越えるのか。担当大臣自身の決意以上に、民主党政権それ自身が、小手先の術では切り抜けることが無理なだけに、その実効性が危ぶまれざるを得ない。
森本大臣が、野に在った時の、知性的発言は、官に在ってこそ、生きた発言となる。
野に在った時の森本氏の知性的発言を、野田首相が、そのまま官に在っても認め、実行出来るように協力し、彼の言動を盛り立てる挙に出るだけの勇気を示すのか。
それとも逆に、在来の、優柔不断の所信をもって、森本氏をして、単なる政権の飾りと据えて置くのみなのか。
一方、森本氏も、曽っての発言を発揮し、実行出来る千載一遇の機会として、日本防衛の砦として、防衛大臣本来の使命を、敢然と実行し進める勇気があるのか。
或いは、折角得た大臣と云う地位を、大切に保全し、野田政権の美しい飾り雛として、四方八方に円満の座の一員に、黙して過ごすのか。
野田首相の魂胆と、森本氏の人物の評価が計られる「天秤の舞台」が出来た。
だが、我々が連日叫んでいる如く、日本の置かれた、こと「安全保障」の重大事は、一内閣や、一大臣の功罪ではない。一国の命運そのものが懸っている。
眼前に展開されている、尖閣諸島の始末でさえも、石原都知事の発言に対抗する中国の、不法の威嚇的発言に、在北京日本国大使さえ「脅え切った発言」をしている。
事勿れ主義の日本国官僚の、非国民的言動は、民主党政権の顕著な例かもしれない。
だが、ここまで攻め立てられれば、正直な日本国民も、黙視する訳には参らない。
最近、日本国中の各所に「中国の侵略を許すな」の決起の集会が催されている。
その渦中に起用された森本敏氏ならば、求められた防衛大臣の責任者として、野田首相の消費税増税以上に、日本の安全保障の為の障害を、新大臣が一々除去すべきだ。
野田首相の魂胆はいかがあろうと。独立国日本らしい体制を築いたと云う「名と実を築いて欲しい」。
それは、心ある国民の一致した期待である。
消費税増税を軽視して云うのではない。差し迫った外交、防衛こそ緊迫の大事だと力説したかった。幸い野田首相の第二次組閣は、単なる小手先に終わらせるな。
政権交代をさせた価値が初めて芽生えた、と示される絶好のチャンスだと信ずる。
省みれば、民主党政権発足以来、その失政が、失望と怒りに陥ったことは口惜しい。その数々の原因は、民主党と云う「政党の体質」に起因している。
せめてこの際、歴代自民党政権でさえ為し得なかった、安全保障の根幹を改める、その第一歩を踏み出してみるべきである。民主党政権が終末を迎えた、とみられるが、改造内閣こそ起死回生の機会を得たとすべきではないか。






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