戦前は、天皇が臨席し、閣僚と共に国の重要な政策を決定するために開催される会議があり、
これを「御前会議」と呼び、この会議での決定は、「聖断」とされた。
 ただ、東條英機宣誓供述書では、

 ― 御前会議は政府と統帥部との調整を図ることを目的とし・・・日本の制度においては、政府
と統帥部は全然分立しておりますから、かくのごとき調整方策が必要となって来る・・・この会議
で決定したことは、その国務に関する限りは更にこれを閣議にかけて最後の決定をします
― 

 とあるように最終決定をする会議ではなかったようだ。
 但し、御前会議で下された事は、「実行」が前提となることが見受けられる。
 第三次近衛内閣が総辞職となった原因は、近衛首相と開戦を求める東條陸軍大臣の意見対
立とされるが、木戸内務大臣によると、東條は主戦論者ではなく、政治家でもなく、極めて事務
的な男であって御前会議で決まったからやらなくてはいけないと、一生懸命になっていただけだ
という。
 それを裏付けるのが、次期首相候補にあげたのは、近衛首相、東條ともに皇族であり避戦論者
の東久邇宮であったが、東條は、御前会議を白紙にできるのは皇族しかいないと考えたようだ。
 近衛、東條ともに奏請する東久邇宮に反対したのは、木戸内務大臣という。かれは、もし政策
に失敗した場合の皇室への影響を恐れ、難局を打開するには、実務面で優れた東條を押し、
東條内閣が誕生した。

御前会議と東條