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歴史に「もし」を考えてみよう

 よく言われる「歴史に“もし”は、ない」。歴史に未練を残すことへの戒めであろう。たしかに「あの時、こうだったら」と仮説にすがってもどうしようもないことだが、歴史を教訓として考察するなら「もし」もまた、未来に向けて有意義なものではないかと思う。

 大東亜戦争において「もし」をいえば、例によって、すぐさま「歴史に“もし”はない」と聞こえてきそうだが、ひとつには、「負けたのだから言い訳は見苦しい」という理由がある。日本の美徳として、たしかにそうだと思うが、戦勝国にはそれが通じなかった。まして、戦争をしていない中華人民共和国は、今日、その美徳を逆手にとって外交カードにしている。
 もうひとつは、「戦争は悪」という単純な考えで、「日本は悪いことをした」という思考がはたらき、反射的に「歴史に“もし”はない」と、仮説を唱えると、あたかも反省が足りないように説教してくる人もいたものだ。
 殊更、大東亜戦争には、「歴史に“もし”はない」という思考が、はたらくような気がする。

 そこで、うがった見方をしてみた。
 日本人は、まんまと日本が侵略国家と洗脳されたが、連合国および敗戦利得者にとって「もし」を考えると、日本の正当性が見えてきて都合が悪くなるので、「歴史の“もし”はない」という概念を植えつけたのではないかと。


【東京裁判で処刑された殉国七士の墓前で敬礼する元日本海軍台湾人軍人】
1970.6.14愛知県幡豆郡三ヶ根山殉国七士廟


■ 日本は、米国より「ハル・ノート」を突きつけられ、戦争に踏み切った。
 “もし”このハル・ノートを世界に公開していたら・・・。
 世界の見方が、日本が戦争に踏み切った理由をある程度は、理解が得られた。敗戦したとしても、一方的な悪者扱いにはならず、日本人自身が、これほどの自虐史観に苛まれることは、なかったのではなかろうか。
 ただ、ハル・ノートは、米国の指す「中国」という範囲に満州は含まれていなかったという説もある。しかし、今となっては、どうだったのか。

■ 1941年6月 ナチスドイツが、ソへ侵攻。
 “もし”これを理由に三国同盟を破棄していたら・・・。
 日本にとって、三国同盟は、対米外交圧力の要素があり、後には、ソ連を含めた「四国同盟」を画策していたともいわれる。日独共に対ソ連には、二国間の不可侵条約が存在し、ソ連侵攻は三国同盟の趣旨から逸脱するものであり、同盟解消の理由なりえた。
 このときに同盟を解消していたなら、英国が米国を欧州戦に引っ張り込むために、日本から引き金を引かせる手法は、意味をなさなくなったのでは。

さらに遡って
■ 1905年 日露戦争でのポーツマス講和会議
 “もし”南満州鉄道を米国と共同経営していたなら・・・。
 当時日本の払った犠牲において、南満州鉄道の日米共同経営を受け入れる土壌が無かったことになるが、共同経営を選択していたなら、20世紀は、全く違った様相だったのは間違いない。
 日本人が血を流し、米国のフロンティア・スピリッツを満たすことに、納得できるかどうかはあるが、当時のロシアを含む、東アジア情勢の安定性を考えれば、そのリスクを米国にも負担させるという考えがあっても良かったと思う。ロシア革命によるソ連の成立も違った勢力図となり、モンゴルへの影響、満州独立など、中華民国の地図も大きく変わり「明」の時代のようになっていたかもしれない。
 但し、1904年に米国は、ハワイに奇襲攻撃をして、独立国だったハワイを滅ぼし、自国領土とした。日本へのポーツマス講和会議直前である。 それ以前、ハワイ国王は、ハワイ安泰のため明治天皇の甥の縁談を申し込んだことがある。
 まさに帝国か属国の時代。ハワイも米国の脅威から、国を守るために日本に助けを求めていたのである。
 したがって、“もし”南満州鉄道を共同経営しても、太平洋を巡って、結局、日米は、衝突したかもしれない。

 日米対立がなければ、日英同盟の解消もなく、三国同盟もなかった。もっとも列強からアジアを開放する大東亜共栄圏構想に英米を入れることは、無理があったのもたしかである。英米と同調すれば、東南アジアの独立は遅れ、現在の東南アジア諸国の日本への見方は、良くなかったのではないかと思う。

 さて、「歴史」はその事実に真正直から向かい、さらに、角度を変えて向かい、客観的評価になれば、よいのだが、実際には「歴史」は、都合の良いように塗り替えられることが多い。
 「もし」は、当時の様相を多角的にみて知ることができる、有効な手法ではないだろうか。
 そこから真実が見えてきたら、違うことは違うと言うべきだろう。言える勇気をつけるために、黄昭堂台湾独立連盟主席の言葉を紹介したい。



【黄昭堂台湾独立連盟主席】2010.10.12台北にて
――私は、日本人が使う「終戦」という言葉には違和感がある。戦争は、勝つか負けるかしかない。日本は「敗戦」したのだ。 「終戦」で濁すのではなく「敗戦」をしたことを理解しなければならない。「敗戦」を理解すれば、悔しさが出てきて、日本は、立ち直るだろう。――

平成23年1月13日 記 
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