岐阜李登輝友の会台湾研修ツアー
平成22年10月28〜31日 【3日目】 台北―左榮・高雄・美濃鎮へ
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 一行は、美濃鎮へ向かうため台北駅へ
  台北駅舎内はこのような巨大な吹き抜け構造
台湾新幹線車輌内。JR東海「のぞみ」と殆んど同じだが座席の前後の空間が少し広く感じます。
 台北から最速の新幹線で高雄の入り口「左營」へ到着。台北は肌寒かったが、こちらは半袖が標準。さすがに北回帰線を越えただけはあります。陽射しも強く、空気が乾燥していて快適。
 新幹線駅は左營が終点。将来的には、高雄まで行くそうで、この流れは、高雄からみた台北の手前「板橋」が先に開業したのと同じだそうだ。
 1661年、オランダを追い出した、日本生まれの鄭成功が、陣を張ったのが、左側であったことが「左營」の由来。高雄は「未来都市」とよく聞く。その理由は、後藤新平が、未来を見据えて都市計画をしたことにあり、道路の広さなど、街のつくり全体が、台北の総統府周辺、東京なら千代田区のような感じで、台北より首都のような感じでした。東京と大阪といった感じでしょうか、高雄の台北に対するライバル意識は高いようで、台北に新光ビル(244m)が建ったことから、高雄に378mのビルを建て、台北101(508m)が建ったので、ならば、600mを越えるビル建設を発表し、竣工式を行った後、施主が倒産して日の目を見なかったそうです。
 しかし、高雄はそれでも負けていません。「台湾は台湾である」というアイデンティティは、高く蒋介石嫌いは、台北より強い。(台南でもそうでした) 
 さて、目的が美濃鎮ですから、高雄は素通り。高速道路に乗り、上記の話を聞いているうちに高速道路を降り、いよいよ美濃鎮へ入り口に到達。
 何故、美濃鎮を目的地にしたのか。そこが、岐阜李登輝友の会のオリジナリティがある。

 美濃鎮は高雄県に属し、「鎮」は日本でいう「市」のようなもの。(台北市や高雄市は県と同じ)つまり地名は「美濃」になります。もともと「瀰濃」だったところ、日本統治時代に美濃・大垣出身、磯貝静蔵が知事を務め、大垣出身の高橋辰次郎工学博士がダム建設を行ったことから「美濃」になったそうです。また、台湾の「美濃」は、山川などの自然に恵まれ、岐阜の和傘に似た傘の産地。この標識を見ると岐阜県美濃地方を走っている気になります。
 今回、大垣市美濃鎮研究会が中心となり、交流を深めるため、やってきました。
 美濃鎮は一般的に、観光コースではなく、今回の台湾人ガイドさんもはじめて行くそうだ。大垣の人たちがガイドをするようなものかと思いきや・・・、美濃鎮は客家人の集落であり、客家語を使う(公用は北京語)。
 ガイドさんも客家人で、ここでは客家語を使用、李登輝さんも客家人ですね。
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