樋泉克夫教授コラム

【知道中国 866回】                    一三・二・念二

 ―――「日中間のパイプ太く」すればいいってものではない
         
 伊藤憲一氏が「産経新聞」(2月19日)の「正論」に寄せた「今こそ日中間のパイプ太くせよ」と題した論考に、いささかの疑義を感じた次第だ。

 伊藤氏が理事長を務める日本国際フォーラムは、様々なチャンネルを通じ中国側諸機関との間で「日中対話」を重ねているらしい。昨年11月末には「中国最大の外交問題シンクタンクで、党と政府の外交政策形成に多大な影響力を持つことで知られている」中国現代国際関係研究所から、「日中関係の見通し」についての「緊急対話」開催の打診があったという。「『この照会は、習近平新政権からの指示によるものだな』と、ピンと来た」伊藤氏は、12月14日に「緊急対話・・日中関係の見通し」を開催している。

 席上、中国側からは「『中日関係が非常に困難な時期にあることは確かだが・・・お互いに知恵を絞り、協力し合って、この難局に立ち向かわなければならない』とのあいさつがあり、私の方からは、『日本に対し、痛烈な批判の言葉があるものと覚悟していたが、理性的かつ建設的な言葉で励まされた』と応じた」そうだ。「私」とは、つまり伊藤氏である。

 伊藤氏が「ピンと来」たところでどうでもいいこと。だが問題は、なぜ彼が「(中国側から)痛烈な批判の言葉があるものと覚悟」し、「(中国側の)理性的かつ建設的な言葉で励まされ」ねばならないのか、ということだ。いったい、中国側の発言のどこが「理性的かつ建設的」だというのか。「困難な時期・・・だが、お互いに知恵を絞り、協力し合って、この難局に立ち向かわなければならない」などという“上から目線”に「励まされる」とは。まさに故中嶋嶺雄先生が口を極めて批判していた「位負け外交」の典型だろうに。

 伊藤氏はさらに、「中国国内には、いろいろな声があり、軍関係者などの中には、力の行使によって領土を拡大することを肯定しかねない者もいる。しかし、それは中国の最終的な国家意思ではない」とするが、いったい何を根拠に、「中国の最終的国家意思ではない」などと断定口調で広言できるのか。

 1月24日には東京で日本国際フォーラム、グローバル・フォーラム、北京師範大学、浙江大学の共催で「未来志向の日中関係の構築に向けて」と題する「日中対話」が開催されている。会場で「日中双方の問題では、『中国の大気汚染、水質汚染は深刻であり、日本の支援が緊急に求められている』『中国は原発の新増設なしに環境問題を解決できない』『日中両国は気候変動枠組み条約締結国会議(COP)で角突き合わせていてよいのか』『中国は世界貿易機関(WTO)の最大の受益国だ』『対話はお互いの信頼を前提にしている』『日本だけでなく、中国にとっても、資源の確保は生命線だ』などの発言が飛び交った」そうだ。

 こういった意見を「聴いているだけでは、個々の発言が日中いずれの側からの発言であるかが分からないほどであった」と、伊藤氏は「日中対話」の実が挙がっているとでもいいたげだ。だが、大気汚染、水質汚染、環境問題、WTO最大の受益国、資源確保など地球規模の大難題の数々は、経済強国をバネに超大国への道を突き進むことで政権基盤を確保しようと躍起となっている共産党政権の“身勝手”が引き起こしているのではなかろうか。

 最近になって、環境問題改善の先進国として日本は、その経験を中国に伝えるべきとの声も多く聞かれるようになった。だが、これまで日本が提供した莫大な政府開発援助(ODA)の行方を考えれば、日本側の“善意”が裏切られることは十二分に予想できるはずだ。

 伊藤氏は「日中間の各種のパイプを太くしていく重要性」を強調する。だが今なすべきは徒に「各種のパイプを太くしていく」ことではなく、パイプを捻じ曲げ、機能不全を引き起こしてきた根本原因と責任が何処にあるのかを、厳密に検証することだろう。《QED》


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