樋泉克夫教授コラム

【知道中国 846回】                     一三・一・初九

 ――言わせておけば、いい気になって・・・(6)

 『中国大趨勢③ 中国拒絶捧殺』(舒秦峰 中華工商聨合出版社 2011年)

 ズバリ副題が「中国は捧殺(誉め殺し)を拒絶する」というのだから笑ってしまうが、捧殺拒絶の理由が日本にありというのだから、悔しい話だが笑ってばかりいられない。

 著者は「第二次大戦後、日本経済は猛烈な勢いで成長を遂げ、20数年足らずの時間で廃墟の上に一大経済強国を作り上げてしまった。当時の西側世界による日本への“捧殺”は現在の中国へのそれどころの騒ぎではなかった。1979年、アメリカ人学者のエズラ・ボーゲルが『ジャパン・アズNo.1』で日本は多くの部門でアメリカを超えたと指摘すると、10年ほどの間だが、日本の得意は絶頂に舞い上がり、この世の春を謳歌した。やがてバブル経済の破裂がキッカケで長期停滞に陥り、苦境に喘ぐ」というのだ。あの時、確かに日本は「知日派」を詐称するペテン師の詐術に引っかかった。苦々しい思い出ではある。だが正直なところ、やはり中国人のアンタには言われたくない

 さて気を取り直して、著者の言い分に耳を傾けると、「中国モデルに対する高評価は、すでに国の内外でみられる流行であり、時代の潮流となった。・・・中国が己を失って有頂天になるなら、本来進むべき方向を見失ってしまう。かくて“過度の評価”は“捧殺”に転ずる。誉め殺しに左右されることなく、潜心陶冶し、自らの脆弱性を克服してこそ真の大国となりうる。これこそが大勢の赴くべき当然の姿だ」――これが著者の基本姿勢らしい。敢えて、その意気や壮といっておこう。

 かくして著者は中国を持ち上げる外国人を徹底的に切って捨て(「第一篇 誰把中国捧上了天」)、ホラの類を吹きまくる中国人を完膚なきまでに論破し(「第二編 誰在自己吹捧」)、内外からのタメにする捧殺を拒絶し(「第三篇 中国拒絶捧殺」)、真に進むべき道は中国が自らに内在する脆弱性を根底から克服して名実共に兼ね備えた大国を目指すべきであり、それこそが中国の歴史的使命である(「第四篇 真正的趨勢:告別脆弱、做実至名帰的大国」)と力説する。

 かくして「内外の中国の発展モデルに対する評価が高まるにつれ、そこにこそ危険性は潜む。・・・中国の総合的な国力が強まれば、中国伝統の中央帝国というあの優越感が歴史の彼方から顔を覗かせ息を吹き返し、内外からの中国に対する諂いの声は根拠のない歴史的優越感を蘇らせてしまう。こういった己惚れそのものの精神状態こそ、断固として避けなければならない。それというのも、経済建設であれ制度建設であれ、いま中国がなさなければならない任務は余りにも重いからだ。現在の中国は依然として脆弱だ。かくも多大な脆弱性の要因が、いま解決の時を待っている。であればこそ、現状にハシャイでいられる理由などない。・・・ペルシャ帝国、ローマ帝国、唐帝国、大蒙古帝国であれ、一たび唯我独尊に陥り、他という存在を見下すことになるなら、再び他を受け入れることはなくなり滅亡に向かうしかない」と“殊勝”な台詞を口にする。

 だが、何せ徹頭徹尾夜郎自大な彼らである。「シンガポール国立大学政治学部教授の鄭永年が著者に語った」と断りながら、矢張り限りなく唯我独尊振りを発揮してくれる。曰く「中国の政治要路は今に至るまで冷静な判断をもち続けている。『現在に至るまで当局は中国モデルという概念を公式に認めてはいない』」と、飛んでもないウソを持ち出す。

 著者の「中国拒絶捧殺」こそ思い上がりだ。豚は煽てりゃ、空だって飛ぶンです。《QED》