樋泉克夫教授コラム

 【知道中国 823回】               一ニ・十一・初七

 ――「万里の長城」観光事故に思う

 数名の高齢日本人が万里の長城で遭難し亡くなった。これを関係者の過失として片付けるわけにはいかない。彼らの死を“他山の石”とし、むしろ中国と中国人に対する日本人による誤解の典型として猛省したいものである。

 中国と中国人に対する過度の思い入れは、極論するなら小野妹子以来、日本人が抱いてしまった業病であり、治癒し難い宿痾といえる。これを無反省・無自覚のままに過ごすなら、眼前の尖閣問題の解決すら覚束ない。いや、日本と日本人の前には現在以上の“茨の道”が待ち構えていることを覚悟しておくべきだろう。

 出発前、犠牲者らはツアー会社のパンフレットに示された万里の長城――雄大・雄渾な風景、見渡す限りの山の稜線を延々と続く長城、中国古代のロマンから観光客用に整備された施設まで――を心に描き心躍らせ旅立った。

 旅行社の担当者は「現地での事前調査はしていない」と報じられていたが、被害者も含め関係者全員が長城の“ステキな姿“を勝手に思い描いていただろう。でなければ、1日15キロで全行程100キロを走破しようなどという無謀極まりない企画を立てるわけがない。根っからの悪徳業者でないかぎりは。

 これまでも中国各地で長城を“体験”した。観光地化された場所はともかく、いや観光地化された所ですら、そこから一歩外れた場所の長城は強風や灼熱の陽光に曝され、時の流れの中で崩れてガレキの山と化している。長城を形作っている古代のレンガを農民が住宅建設用に勝手に持ち去り、もはや城壁の態をなしていない例も散見された。

 長城は朔北からの異民族侵入を防ぐという目的で、中国本部から遠く離れた峻厳な山々の稜線を伝って建設されている。であればこそ、晩秋からは朔北の強風が胡砂を伴って叩きつけるように吹き荒ぶ。これに季節外れの予期せぬ豪雪が追い打ちをかけたのだから、たまったものではない。さらに民宿まで。

 これはもう正気の沙汰ではない。なによりも肝心な便所にしても、日本人の常識であるウォシュレットなどは夢のまた夢。

 環境が劣悪すぎる。どう考えたところで、観光気分で、しかも100キロも走破できるわけがない。日本人の常識は通用しない。これこそが中国であり中国人だと心得るべきだ。

 ここでお馴染みの『中国=文化と思想』(林語堂 講談社学術文庫 1999年)を持ち出せば、「民族としての中国人の偉大な点」として、「勧善懲悪の基本原則に基づき至高の法典を制定する力量を持つと同時に、自己の制定した法律や法廷を信じぬこともできるところにあろう。

 法律に訴える必要のあるもめごとの九五パーセントは法廷外で解決している」「煩雑な礼節を制定する力量があると同時に、これを人生の一大ジョークと見なすこともできる」「罪悪を糾弾する力量があると同時に、罪悪に対していささかも心を動かさず、何とも思わぬことすらできる」「一連の革命運動を起こす力量があると同時に、妥協精神に富み、以前反対していた体制に逆戻りすることもできる」「官吏に対する弾劾制度、行政管理制度、交通規則、図書閲覧規定など細則までよく完備した制度を作る力量があると同時に、一切の規則、条例、制度を破壊し、あるいは無視し、ごまかし、弄び、操ることもできる」ことを挙げている。とどのつまりは・・・ナンデモアリ。

 やはり「民族としての中国人の偉大な点」を忘れた中国論議など、中国人にとっては「狗肉 不能上秤(痛くも痒くもない)」はずだ。日本人は「民族としての中国人の偉大な点」をキッチリと脳髄に叩き込むべきだろう。今なら、どうにか間に合うかもしれない。《QED》