樋泉克夫教授コラム

【知道中国 820回】              一ニ・十・念九

 ――「反日」という病理について考える
    
 9月半ばに猛威を振るった「反日テロ」で受けた被害個所の修理も終え、日系小売・流通業者による営業再開も報じられ一方、相変わらず反日攻撃を受け続ける日系企業もあるようだ。

 9月に中国全土で反日運動が巻き起こった際、野田首相が「想定を超えた激しさ」とノー天気なことを他人事のように口にする一方で、激しい反日運動の背景に①共産党権力交代期に殊に激化する権力闘争、②社会的不公正に対する若者の不満、③独裁を強化する共産党政権への不満などの要因がある――といった解説も聞かれた。だが、近現代中国における反日運動の歴史を改めて振り返ってみると、以上の①②③だけでは説明のしようがない。

 なぜなら、上記の①②③が存在するはずのなかった戦前でも激しい反日運動はあったからだ。かりに将来、①②③という要因が解消されたとしても反日運動――いや正確には反日運動を引き起こす反日民族感情というべきか――が解消するとは、とても思えない。

 これまで反日運動の根底に、「日本人を罵倒する」ことを好む中国人の性向があると指摘しておいた。これは林語堂の『中国=文化と思想』(講談社学術文庫)に見える主張であり、人生において有り余る暇を潰す名人の中国人にとって、「日本人を罵倒する」ことも、また暇潰しの一種ということになる。林の考えに従えば反日運動は暇潰し、ということになる。

 ところで、彼が英語で『中国=文化と思想』の原典を著しニューヨークで出版した3年後の昭和13年(1938年)、日本では陸軍恤兵部から『支那事變 戦跡の栞』(上中下巻)が出版されている。
「北支方面軍司令官・陸軍大将寺内壽一」の名で記された「序」によれば、この本は「(支那事変以降の単なる戦争の回顧ではなく、中国戦線での)體驗を整理する基となり、新しき支那を知るの資料として亦可となり・・・陣中の好伴侶」とのことだが、はたしてこの本は中国の戦場で皇軍兵士にとって「陣中の好伴侶」となったのだろうか。

 それはともかく、この本に収められた「支那の話」のなかで中国民俗研究家の中野江漢(1889~1950年)は、当時の「日支の関係」について「どうして日支は疎遠したか」と語りかけ、「然らば、かういふ言葉(「日支依存」「共存共榮」)は、果たして實現されて居るかどうかといふに、事實はこれに反して、日支親善の實は、なんにも擧つて居らぬのである」と断定した。

 そして中国側は「日支不親善の責を、皆な日本に歸して居る。彼らが主張するところに從へば次の如くである」と語り、「(一)日本は忘恩國で、弟としての禮を盡くさぬ」「(二)日本は支那に對して侵略的である」「(三)日本の對支政策は一定せぬ。當にならぬ」「(四」)日本は歐米依存である」と「彼らが主張」を列記し、続いて「(一)日本に對する嫉妬心に因づく」「(二)日本に對する猜疑心に因づく」「(三)『以夷制夷』政策に因づく」「(四)國内統一の爲めに排日を煽動せるに因る」と、反日運動に奔る中国側の心理を指摘する。 

 中野の説くところは現在にも通じるだろう。日本に対する「嫉妬心」に「猜疑心」、加えて日米離反を狙っているところなどは「『以夷制夷』政策」であり、共産党による「國内統一の爲めに排日を煽動せるに因る」に至っては、空恐ろしいばかりにドンピシャ。《QED》