樋泉克夫教授コラム

【知道中国 808回】              一ニ・九・念六

 ――中国人はイタリアを乗っ取る気なのか

 『I CINESI NON MUOIONO MAI』(R.Oriani R.Stagliano  Chiarelettere 2008)

 日本でも参考になるだろうからと、イタリアの友人が送ってきてくれた。イタリア有力紙の2人の若い記者が全土をこまめに歩き取材して書き上げている。「死に絶えることなき中国人」という書名も凄いが、「生きて、カネ儲けして、イタリアをひっくり返す。恐怖するイタリア人」とズバリ核心を衝いたサブタイトルにも驚いた。だが読み進むに連れ、中国人のイタリア席捲、いや蚕食ぶりの凄まじさには魂消るしかなかった。

 先ず西北部の米所で知られるピエモンテでのこと。80年代末に紅稲と呼ばれる雑稲が突然変異のように発生し増殖をはじめ、稲の生産を急激に低下させた。ところが紅稲は除草剤や除草機では駆除できない。やはり1本1本を丁寧に人力で抜き取るしかない。だが、肝心の人力は不足するばかり。農家の苦境をどこで聞きつけたのか。そこへ大量の中国人がやってきた。イタリアで半世紀以上も昔に行われていた田の草取りの方法のままに、彼らは横一列に並んで前進し、紅稲を抜き取っていく。

 「7,8月の灼熱の太陽を受け泥に足をとられながら、手足を虫に咬まれ、腰を曲げ、全神経を紅稲に集中する。想像を超える体力と集中力、それに一定の植物学の知識が必要だ。紅稲は一本残らず抜き取らなければ正常な稲に害が及ぶ、抜くべきか残すべきかを知っておく必要がある」。過酷な作業ながら収入は少ない。だが喜んで中国人は請け負う。

 ある日、田圃で中国人が脱水症状で倒れた。彼らに「健康を考慮し明日からは10時間以上の作業を禁ずる」と告げた翌日、雇い主が田圃に行ってみたが誰もいない。慌てて宿舎に駆けつけると、彼らは荷物をまとめ立ち去るところだった。彼らは口々に「毎日10時間しか働けないなんて、時間のムダだ」と。著者に向かって雇い主は呆れ返った表情で、「中国人は疲れることを知らない。気が狂っている」
かくして「中国人がいなかったら、イタリアの米作りは成り立たない」そうだ。

 農業ですら、この調子である。大理石の石工、ゴミ処理工場労働者、ソファー・皮革・衣料職人、バー、レストラン、床屋、中国産品の雑貨商など・・・ミラノを「イタリアにおける中国人の首都」にして、イタリアのありとあらゆる産業を蝕みつつある。

 その大部分は浙江、福建人で、多くは非合法でイタリア入りしている。教育程度は他国からの移民に比較して低く、それゆえイタリア社会に同化し難い。苦労をものともせず、倹約に努めるという「美徳」は備えてはいるが、それ以外に目立つことといえば博打、脱税、密輸、黒社会など。どれもこれも、胸を張って誇れることではない。

 文化程度の低さは、勢い生きるためには手段を選ばないことにつながる。これが現在のイタリアで増加する中国人の姿だ。イタリア人は、彼らを通じて中国を知る。だが、中国人は、そんなことはお構いナシだ。子供をイタリアの学校に通わせ、イタリア人として育てようとしている両親もいることはいるが、なんせカネ儲けに血道を挙げているので、学校で、地域社会で偏見に晒されている子供の苦衷を推し量ることなどできはしない。

 最後に印象的なシーンを・・・著者がアンナと呼ばれる20歳の中国娘に「夢は?」と尋ねる。「夢! そんなもの知らないわ。中国人って1ヶ所には留まらないものなの。あっちがよければ、あっちに行くわ。おカネの儲かり次第ってとこね。この地に未練なんてないわ。もう14年は暮らしたけど、とどのつまりは行きずりの人間なの・・・」。《QED》