樋泉克夫教授コラム

【知道中国 801回】             一ニ・九・初七

 ――虚しく、やりきれなく・・・残酷なまでに哀しい喜劇

 『信陽事件』(喬培華 開放出版社 2009年)
 
 ここ数年、香港の出版界で静かなブームを呼んでいるのが、58年に毛沢東が発動した大躍進政策の実態を明らかにする研究書の出版だ。この本もそのうちの1冊で、1959年10月から60年4月の間、河南省の信陽地区で100万人超が餓死した「信陽事件」を詳細に綴っている。読むほどに大躍進政策の無謀さ、後先考えずに大増産運動に踊った人民のノー天気さ、実現不可能な大増産計画を達成したと見せかける地方幹部のデタラメさ――まさに国を挙げて一瀉千里で飢餓地獄へ驀進した“狂気の時代”が浮かび上がってくる。

 「一時のことだが、信陽は鬼域に変わった」。「鬼」は霊魂のこと。死屍累々。幽鬼漂うことになったということだろう。「口にできるありとあらゆるものは喰い尽くした。家々に死人は溢れ、道路や村の至るところに死体だ。最後には死体を貪り、生きている人を喰い、家族まで・・・。村全体、家全体が死に絶えた。光山県解山公社は600余の自然村から成り立っていたが、村民が死に絶えた村は175ヶ村。8000戸のうちの1600戸では生き残った家族は皆無。公社全体の人口の1万6000人のうち、1万3000人が死んだ。ある生産大隊では構成員の4割が餓死した」とか。ここで死と餓死と分けている点に注目願いたい。

 では、なぜ、このような惨劇が起きたのか。毛沢東本人も認めているということだが、原因は「高指標、高徴購」にあったという。上から下へ、出来もしない高い生産目標が示される。すると末端幹部は、上に向かって生産目標を遥かに超えた増産が達成されたとウソの報告を上げる。一例を挙げれば、200公斤(一公斤は1kg)しか生産できない畑にもかかわらず、2015公斤の生産達成と報告する。上級幹部の覚えをメデタクする為の大水増し。すると2015公斤に基づく供出命令が下されることになり、単純計算で200-2015=-1815斤が不足する。そこで、不足分を備蓄などから強制的に供出させる。無理無体だ。

 かくして国の倉庫に農産物は集まるが、人民に待っているのは餓死。当然、なけなしの備えを強奪されてはたまらないと抵抗すると、村の幹部は容赦なく打ちのめす。だが、「反革命鎮圧」として正当化される。大量の餓死者に加え、反革命鎮圧による犠牲者も数を増す。当時、毛沢東の側近だった人物は事件から45年程が過ぎた06年に、「このような驚くべき情況は毛主席のところにも届いていた。(原因について)どう考えても思いつかない。そこで唯一の解釈は、この機会を利用して地主や富農が階級的な報復をしているということだった」と回想し、「劉少奇も同じ見方だった」としている。

 いわば共産党の革命によって土地も財産も失った地主や富農たちが、大躍進に乗じて社会混乱を騒擾し、共産党打倒を狙っているというわけだ。かくして中央には、「河南では解放前の国民党、悪徳地主、ゴロツキや地回りが統治する暗黒世界が復活している」との報告が届けられたという。

 この事件を毛沢東は「共産党の旗を掲げた国民党が実行した階級的報復」と断定し、劉少奇を代表とする当時の党中央は「信陽地区の地主階級はかつての権力を奪還し、同地区の党委員会は国民党に変質した。信陽事件は反革命であり民衆を徹底して動員し、真相を究明し事件を処理しなければならない」とした。
 党の方針に踊らされた人民の悲劇だが、見境なく踊りまくった点からいえば自業自得かもしれない。だから、昨今、「愛国無罪」などと調子に乗っている若者のオッチョコチョイぶりが気になる。如何にも危ういのだ。先人の蹉跌を知れと忠告してやりたいが・・・。《QED》