樋泉克夫教授コラム

【知道中国 779回】                     一ニ・七・仲八

 ――「不都合な真実」と悪意に満ちたプロパガンダ

 和順村を「抗日のテーマパーク」とでもしようというのか。それとも観光客(その中には、ミャンマーから“里帰り”する寸氏一族の末裔も少なくないはず)に、ついでに抗日教育を施そうとでもいうのか。和順村には「滇緬抗戦博物館」が付設されている。しかも、この7文字を揮毫しているのが台湾の総統選挙に“連戦連敗”した元国民党トップの連戦であり、係員の弁では「数年前、連戦が来訪した際に書いた」というのだから驚きだ。なんのことはない、和順村でヒッソリと「国共合作」である。いや、それだけではない、アメリカも一枚噛んでいた。国民党に共産党、それにアメリカまでくっ付けてしまうというのだから、「抗日」はアロン・アルファー以上の万能瞬間接着剤ということになる。

 建物の外観からして、建設から然程の時間は経っていそうにないだろう。ならば、これまでみてきた一連の“抗日遺跡”がそうであったように、ここでも抗日の歴史と観光を結び付けようという策動は胡錦濤政権成立以降と考えてよさそうだ。

 博物館の展示は、滇緬方面における抗日戦争では米軍の全面協力を受けはしたが、“悪逆非道の日本軍”と主体的に、敢然と、雄々しく、犠牲を恐れずに戦ったのは飽くまでも中国人であったという“苦しい物語”で貫かれている。いわずもがな。彼らが米軍にとって消耗品でしかなかったなどという「不都合な真実」は完全に伏せられている。

 展示されている品々や写真をみると、よくもここまで日本人をバカにしてくれるものだと呆れ返るほどである。無知に基づく誤解のレベルを遥かに超え、意図的な曲解としか思えない説明文も見受けられたが、その典型を2例ほど紹介したい。1つは将校の私物保管箱と思われる木箱で、もう1つは仏壇だ。

 先ず木箱だが、縦横20㎝ほどで長さが60cmほど。木目の細かい材料で作ってあり、薄茶色で塗られている。上蓋の上部中央には上からの金色の桐の紋章、中央部に「悠久護皇國」の金文字、その下に「陸軍中尉」とあるが、持ち主と思われる人物の名前は黒く塗りつぶされている。説明文には「死んだ後に火葬し、骨と灰を仮に収めておくための日本軍用木箱」とある。

 巾60cmほど、高さ70cmほど、奥行きが60cmほど。小さいながらも手の込んだ細工が施されている仏壇には、なんとも腹立たしい説明文がついていた。中国語の語感そのままに訳すと、「死んでもロクなことはない日本侵略軍は、こんな倉のような霊牌(いはい)を持ち歩き、島国に送り返し、靖国神社に放り込もうと目論んでいた。ところが遠征軍の戦利品となってしまい、後世の笑いものとなり、万人の唾を受ける羽目になった」。いいもいったり、書きも書いたり、といったところ。木箱は仏壇の上に置かれていた。

 日本軍は遺骨を納めた仏壇を背負って靖国神社の神殿に額づかない。靖国神社は英霊の集う神域である。ましてや日本軍は仏壇を背負い、骨壷代わりの木箱を携え戦場に赴かない。どれほど憎悪し、どれほど悔しかろうと、そんな思念は深く胸に納め、日本人は亡くなった相手に手を合わせ、祈るものだ。「後世の笑いもの」にしたり、「ザマー見ろ」とばかりに唾を吐きかけ溜飲を下げようなどというさもしい行いは慎むものだ。

 ここを訪れる中国人の誰もが、この悪意に満ちた説明文を信じ込み、“愚かな日本軍”に勝利した遠征軍の雄姿に思いを馳せることだろう。だが、その遠征軍は米軍にとっては飽くまでも消耗品でしかなく、滇緬での日本との戦争に共産党は露ほどの働きもしてはいないはず。だから共産党は本当のことはいいません。たとえ口が裂けても・・・である。《QED》