樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 741回】              一ニ・四・念三

     ――中華民族復仇史観というアジテーションの末路

     『近代中国史話』(湖南師範学院《近代中国史話》編写組 人民出版社 1977年)


 この本出版の前年に起きた大事件といえば毛沢東の死と四人組逮捕。出版翌(78)年末、鄧小平に率いられた共産党政権は政治から経済へ、革命からカネ儲けへ――「滅私奉公」ならぬ「滅私奉毛」の毛沢東路線をきれいサッパリと清算し、新たな道への“革命的大転進”を果たす。現在の身勝手・金満・傲慢大国への道を拓くことになる改革・開放路線に大きく舵を切ったのだ。ならば、この本が出版された当時は毛沢東路線を継承すべきか否か。開放派と毛沢東主義者との間で、さぞや熾烈な権力闘争が展開されていたに違いない。

 この本は、1840年のアヘン戦争を発端に51年の太平天国軍の挙兵から1870年代初頭の太平天国の壊滅までを「第一章 侵略は反抗を引き起こす」、中国市場を目指してしのぎを削る列強の専横と中国人民の抵抗なるものを「第二章 帝国主義は永遠に中国を滅亡させることは出来ない」、清朝転覆を導いた1911年の辛亥革命に繋がる革命家の苦闘の軌跡と中華民国建国前後を「第三章 帝政を転覆し、共和国を建国する」――という構成である。

 「史話」と銘打たれているだけあって史実を巧妙に組み合わせてあり、近代史が判り易く面白く綴られている。だが、それだけに資料の引用は牽強付会で身勝手気侭。自らに不都合な部分への言及は巧妙に避け、あるいはすっ飛ばし、中華民族主義を大きく掲げ、民族主義に訴え、中華民族の近代を“蹂躙”した封建地主階級と帝国主義という内外の敵に対する“復仇”を煽りまくる。まさに歴史アジテーションといったところだ。

 たとえば第一章は、西南や西北の辺境に棲む少数民族を「兄弟」と呼び、彼らは「中国近代第一次革命」である太平天国に呼応し相互に助け合いながら「反帝反封建民主革命の戦いの途上において肩を組み、中華民族解放のために、自らが置かれた条件の中で可能な限りに卓越した貢献をみせた」。雲南に住む多くの少数民族の「20年に及ぶ戦いは中国各民族人民による戦闘的団結を反映し、共に解放の情誼と願望を希求した」と、ハデに煽る。

 だが中華民族とはいうものの、それは各民族の平等を意味しない。飽くまでも“漢族の漢族による漢族のための中華民族”であり、であればこそ少数民族は永遠に漢族の下っ端の立場、いいかえるなら下僕に甘んずるしかないということ。漢族の圧政下に呻吟するチベット、ウイグル、内モンゴルの各民族の悲惨な現状をみせつけられれば、少数民族の「解放の情誼と願望」を踏みにじっている最大の要因が、漢族が掲げる超自己チュー中華民族主義にあることは明白だろう。

 アジテーション調が最高潮に達するのは、やはり「神州大地(ちゅうごく)の東方の空が曙に染まり一筋の真紅の光が射し、四方の空を鮮やかに染めあげる。我らが偉大な領袖であり導師である毛沢東同志は、中国における旧民主主義革命がプロレタリア階級の導く新民主主義革命へと向かう分岐点に在って中国と世界を改造し、中国と世界の人民に共通する利益を図るべく壮大な信念を抱き時代の最前線に立ち、マルクス・レーニ主義を創造的に用いて中国革命の具体的情況に結びつけ、中国共産党を創建し、歴史の前進的発展を指導し、中国人民を勝利から勝利へと導いた」と謳いあげた最終部である。

 「一筋の真紅の光」「中国と世界を改造」などといった類の毛沢東賛歌の美辞麗句は、「強盛大国」を目指した北の将サマに似てブザマで滑稽で無内容に過ぎる。昨今の中国の傲慢・倨傲ぶりからは、彼らの説く「歴史の前進的発展」の虚しさを痛感するのみ。《QED》