樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 720回】             一ニ・三・初二

     ――それにしても、摩訶不思議なことがあったもんだ・・・

     『影像中的「文革」農村』(周浙平編撰 高恒如撮影 三聯書店 2012年)


 香港にある浸会大学の当代中国研究所が2009年9月から刊行している当代中国研究叢書の最新の1冊だ。

 冒頭に置かれた「序言 草根的『文革』史」には、「この本に収められた写真は、すべて山西朔県(現在の山西省朔州市朔城区)の農村における生産と生活――春の種まき秋の収穫、収穫物の乾燥、水路作りと井戸掘り、田畑の養生と堤防工事、学習会、民兵訓練、子供たちの学習、医者による治療・・・これ以上に表現しようのないほどに当たり前の生活を捉えている。だが、撮影された時代は尋常ではなかった。最も早い時期が1969年冬で、いちばん遅いのが1976年9月16日。あの『文革』の時代、全土は烈しく轟音をあげ、大地は呻り山々は揺れた。尋常ならざる、いや喩えようもないほどに異常だった」と綴られている。この本は、自然環境の厳しい中国内陸部の典型的な農村が潜り抜けた「喩えようもないほどに異常だった」文革を捉えた貴重な写真記録である。

 1969年といえば、毛沢東を筆頭とする文革派が勝利を収めた年。以後1976年9月16日、つまり毛沢東の死まで、林彪事件が起こり、批林批孔運動を経て四人組主導の過激な運動が全国で展開された。いわば、この本に収められた写真は、中央における文革派勝利から毛沢東の死までの7年ほどの間、農民は文革にどのように対応していたか。ありのままの姿を静かに訴えている。それは、これまで日本の研究者やメディアが伝えてきた嘘っぱちで虚飾に満ち溢れた文革礼賛情報とは大いに違っている。

 たとえば「序言」に続く「前言」は、「この本に採録された200枚近い写真で、読者は爺さんや婆さん、さらには10数歳の子供が一緒になってオンドルの上でレーニンの生産に関する論文を学習し、あるいは羊飼いの爺さんが農業支援隊の15,6歳の少年や都市からやって来た知識青年と地べたに座って『毛沢東選集』を読んでいる姿を目にするだろう。だが、そんなことが可能だろうか。おそらく写真の老人たちは字を知らないだけでなく、クスクスと笑いながら革命理論を学んだことだろう」と説く。つまり学習のフリをしただけ。だが文革当時の日本では、中国では老農夫までが毛沢東やマルクス・レーニンの難解な著作を学び高邁な哲学を語るようになったと喧伝され、毛沢東が人民にもたらした偉大な成果が華々しく賞賛されていたが、それが真っ赤なウソだったことを、この本が明かす。

 どの写真も農村における文革の細部を捉え、「草根的『文革』」の真実を雄弁に物語っているが、写真に写る本人や関係者などに編集者が質問し、文革から40年程が過ぎた2009年の時点で彼らに語らせた当時の情況は、いずれも文革に対する農民の振る舞いを知るうえで貴重なヒントを与えてくれる。なかでも最も注目すべきが農村での「自力更生」の典型として全土で強力に推進された「農業学大塞(農業は大塞に学べ)」運動についてだ。当時、朔県の党委員会副書記だった人物は、「それはヘロインを吸うようなもの。一度手を染めたら止められない。中毒になり、ガマンできなくなってしまう」と回想する。あるいは毛沢東思想というヘロインを吸ったことが、文革という錯乱情況を招いたのだろうか。

 本を読み終えて気づいたことだが、200枚を超える写真に登場する総勢千人を超すだろう幹部、農民、羊飼い、労働者、青少年、巡回医療隊員、教師、小学生、幼稚園児などの誰もが、奇妙なことに胸に毛沢東バッチをつけず、『毛主席語録』も手にしていない。偉大な領袖を象徴するバッチ、深甚な思想・・・そんなもん、腹の足しにもなりませんヨ。《QED》