樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 717回】              一ニ・二・念五

    ――彼の呟きに静かに耳を傾けようではないか          

    『周作人伝 ある知日派文人の精神史』(劉岸偉 ミネルヴァ書房 2011年) 


 巻末に付された「周作人略年譜」によれば、生まれは福沢諭吉が「脱亜論」を世に問うた1885年で、日清戦争に先立つ9年前に当る。4歳年長の兄が中国近現代の文学・思想の世界に大きな足跡を印した周樹人こと魯迅。3歳下の弟が中華人民共和国全国人民代表大会副委員長を務めることになる植物学者の周建人。兄を頼って東京に学び、日本女性と結ばれ、日本語を練磨し、江戸情緒を愛で、日本の文人墨客と終生の交友を結び、帰国しては兄と絶交し、日本軍治下の北京で教育行政に当り、日本敗戦後は国民党政権下で漢奸として獄舎に繋がれ、共産党政権成立後は「売文生活」を続け、文革が起こった1966年8月には自宅に乱入した紅衛兵から暴行を受け自宅を追い出され、67年5月に「北京八道湾自宅の台所の小屋で没。最期を看取る者がいなかった。享年八十二歳」。号は知堂、苦雨翁など。

 この本は周作人が歩んだ全生涯を、分かち難く複雑極まりなく交錯した20世紀の日中両国の歴史を舞台に描き出す。その点からいうなら、本の帯封に記された「日本と中国 近代百年の縮図」という表現は当っているだろう。

 上下2段組で500頁近い浩瀚な著作だが、周作人などに興味のない向きには退屈至極で面白くもおかしくもない内容だと思える。だが、著者が丹念に拾い集めた周作人の文章は、改めて中国と中国人を考える縁となることだろう。周作人は綴っている。

■中国人の宿痾は見かけ倒しで、うわべは格好をつけるが、内心では自信がない。いかなる時にも恐怖心を抱きながら、他人の一挙一動を見ては、自分への悪口か、あるいは自分に危害を及ぼすのではないかと疑うのである。それに度量が狭く、排他的というが、その実、精神が不健全であるが故である。

■中国では今日切実に必要とするところのものは、一種の新しい自由と節制とである。

■中国民族はどうやら殺戮を嗜む性質をもっているらしい。

■私が思うには、中国人の感情と思想は「鬼」に終結し、日本の場合は「神」に集中する。故に中国のことを理解しようとすれば、礼俗を研究しなければならず、日本のことを理解しようと思えば、宗教を研究しなければならない。

■中国人民の生活の要求はしごく単純なものであるが、それだけに切実でもある。彼は生存を望むが、その生存道徳は他人を損ねて己を利しようとは思わないが、聖人のごとく己を損じてまで他人を利すようなことはできない。(中略)彼は神や道のために犠牲になろうとは思わないが、しかし時に水火も辞さないことはある。(中略)中国のもっとも恐ろしいことは乱であると感じた。しかもこの乱はすべて人民が生存を求める意思の反動である。それは別に何とか主義や理論に導かれたものではなく、すなわち人民の欲望が阻まれ、あるいは満たされないためにそうなったのである。

■『詩経』の中にも恋の詩がある。(だが)「死の勝利」の恋歌はなかなか聴けない。その良し悪しは別として、とにかくこれは中日両国のかなり違うところの一つである。

 周作人の人生を追いながら著者は「日本人への腹いせの罵倒や侮蔑は一時の喝采を博するかも知れないが、結局武断曖昧な思想を助長し、自らの国民の品格を落としてしまうことになる」と溜め息を漏らす。知堂、文革に死す。「享年八十二歳」。以って瞑すべし。《QED》