樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 712回】            一ニ・二・仲二

   ――諸行勘定、万事金銭、終始一貫、アッケラカン・・・負けます

   『拝祀衣紙札作与香港民間風俗』(巫美梅 劉鋭宏 中華文教交流服務中心 2011年)

 人はオギャーと生まれたからには早い遅の違いはあるが、100%の確率であの世に旅立つ。そんなことは判っていても、日々の生活のなかで露ほども考えない。考えようにも具体的なイメージが一向に湧いてこない。それもそのはず。日常身の回りから「死」を極度に排除している現代の日本では、死の向こうに在るはずのあの世に考えが及ばない。そこで参考に、中国人が考えるあの世をみておこう。中国版あの世の初歩的考察、である。

 この本は、『香港之海防歴史与軍事遺跡』『香港節慶風俗美食』『香港新界郷村之歴史与風貌』『香港天后廟探求』『龍母信仰与港人之拝祀』『香港新界之歴史与郷情』『香港観音廟堂巡礼』『国民党乃香港百年史略』に次ぐ「香港歴史文化叢書」の最新の1冊(巻⑧)だ。

 年中行事、土俗信仰、神仏祭祀、拝神酬神、死者への鎮魂など、香港で現に行われている民間風俗に関する生真面目そのものの記述が続くが、「第十篇 現代殯儀服務告別悲情」に到って日本人なら誰もが吃驚仰天するだろう。それというのも、ここにはあの世で使うことになる品々がワンサカと紹介されているからだ。それもリアルなカラー写真で。

 本来なら詳細に論じられている葬儀儀礼の概略なりでも解説したいが、それは別の機会に譲るということで、なにはともあれ香港の人々にとってのあの世の姿を見てみたい。ところで香港の人々が考えるあの世の姿を、中国大陸、台湾、さらには東南アジア各地の華人も共有している。漢民族の血で繋がる彼らなら、あの世が違うわけがない。

 前置きはこのくらいにして、とにもかくにも頁を繰ってみよう。

 先ず紹介したいのが紙銭、つまり冥通銀行とも天堂地府銀行とも呼ばれるあの世の中央銀行が発行する紙幣(ご丁寧に英語でHell Bank Noteと記されている)だ。この銀行の総裁はあの世の一切を司る玉皇で、副総裁はウソをつくと舌を抜く閻魔サマ。中国では閻魔サマはあの世の銀行の副総裁に納まっている。しかも紙幣の隅には丁寧にも「天堂地府一律通用」の文字に加え、玉皇と閻魔のサインまで印刷されている。驚くこともない。「地獄の沙汰も金次第」なんだから。まあ徹頭徹尾に具体的で即物的。彼らが描くあの世は中央銀行まで備え、玉皇を頂点とする官僚制度によってガッチリと支配されている。

 紙銭程度で驚くなかれ、である。インスタント・コーヒー、ブランデー、果物、チョコレートなどのギフト・セット。大人から子供までの男女の靴にジョギング・シューズ。子供向けのキャラクター入りのサンダル。洗濯機、冷蔵庫などの白物家電。扇風機にエアコン。液晶テレビにパソコン(デスク型とノート型)。携帯電話、iPhoneにiPad。麻雀牌にトランプ。電動髭剃りにシェービング・ローション。化粧品セット。衣類。ベッドにソファー、それにタンスの家財道具。自転車。バイク。ヨットにモーターボート。超高級セダン。はては高級マンションに使用人まで――紙と竹ヒゴながらホンモノのそっくりに作られた品々が紹介されている。あの世でも快適な生活を送ってもらいたい。遺族は切なる願いを込め出棺前日に燃やし、一足先にあの世に送り届けておく。手回しのいいことです。

 因みに、この種の品物は専門店で(紙銭や衣類などはスーパーマーケットでも)購入可能。

 ここまで具体的になってくると、なにやらあの世の生活も楽しそう。最近では天堂地府銀行キャッシュ・カードも売り出された。ということは、彼らのあの世にはATMがあるらしい。まさか三途の川の渡し場に。ならば、サラ金もあるはず。あの世で多重債務者になったら、あの世の先の“第二のあの世”に夜逃げでも・・・嗚呼、判らんことばかりだ。《QED》