樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 711回】            一ニ・二・十

     ――捏造偽造、放言愚弄、迷惑千万、断固排撃

     『中共歴史謊言』(利明編著 香港文化芸術出版社 2005年)

 毛沢東革命の原点と賞賛される湖南農民運動の“真相”を抉る「謊言の一:湖南農民運動は素晴らしい!」から、自画自賛ともいえる『江沢民伝』出版の内幕を暴露した「謊言の二十九:江沢民が中国を改造した」まで、虚飾と虚言に満ちた共産党史に隠された29のウソを解き明かそうとする試みだが、「謊言の十三:『二・二八』事件は『人民起義』であり『愛国主義闘争』である」の一項だけは、スンナリとは納得できそうにない。

 「二・二八」事件とは、1947年2月28日に台湾で発生した国民党政権による台湾民衆圧殺事件だ。日本の敗戦を受け、国民党政権は台湾接収に乗り出す。大陸から乗り込んだ国民党政権高官は日本が残した資産を強奪し私有化する一方、「祖国による解放」に歓呼する台湾民衆に向かって、「日本植民地で暮らしてきたお前たちは野蛮・劣等だ」と罵る。「祖国の政権」に対する期待は一気に侮蔑と憎悪に変わった。台湾民衆の怒りは募り、「犬が去り、ブタがやってきた」と大陸から乗り込んできた外省人を激しく蔑視するばかり。

 こんな雰囲気に台湾全島が包まれていた47年2月27日、台北の街角でタバコ闇商売の台湾人女性を外省人警官が力づくで摘発したことから、抑えに抑えていた本省人の怒りが爆発した。民衆が警官を殴り、武器を持って警察署を襲撃・占拠し、遂には全島挙げての暴動へと拡大してゆく。大陸における内戦で敗色色濃い国民党政権だったが、暴動は共産党によるものと宣言し、大陸から大部隊を投入して軍事制圧にでた。本省人の前途有為な若者や政治家・知識人を中心に2万から3万人が犠牲になったが、その実数は未だ不明だ。

 この事件が本省人の外省人に対する拭い難い不信と怨念、外省人の本省人への疑念と猜疑心――現在になっても解消することのない省籍対立という台湾社会の深い溝――を生んでしまった。90年代に入り本省人の李登輝が国民党主席に就き政権を担い、国民党主席として公式に過去の国民党政権が犯した罪を認め謝罪したことで、「二・二八」事件は恩讐を超えて歴史的事実として語られ記されることとなった。

 一方、共産党は事件を一貫して台湾人民による国民党支配への反抗(=起義)と捉え、「愛国主義闘争」と評価している。つまり国民党政権が、国民党支配を拒絶し共産党支持を打ち出した台湾人民を扼殺したというわけだ。これを共産党による「歴史謊言」と糾弾するこの本は、「目撃者の現場証言」なるものを基にして摩訶不思議な“真実”を語りだす。

 じつは事件の“本質”は台湾独立を目論む勢力――その主力は台湾に残置された30万人の「皇軍兵士」と元「皇軍兵士」の台湾人――が仕掛け、台湾統治のために派遣された外省人教師や官吏を虐殺した点にあり、「殺された外省人の数は統計にすらない」と主張し、暴動制圧という果断な措置を執らなかったら、「台湾は独立し、以後の半世紀の歴史は書き改めねばならなかった。失われた領土を奪還することは事実上困難だ。ウラジオストック、琉球、釣魚台列嶼・・・外モンゴル、どうすれば中国に還ることができるのか」と結ぶ。

 「二・二八」事件が「皇軍」勢力による台湾独立への妄動だとは、共産党の「歴史謊言」を暴露する中国人の誇大妄想な歴史妄言というものだろう。だが共産党の「歴史謊言」を激しく指弾する中国人のなかに、琉球(沖縄)も釣魚台列嶼(尖閣列島)もウラジオストックも外モンゴルも中国の領土だとの歴史謊言を真顔で喧伝している勢力が存在していることも、また事実なのだ。やはり中国人は一筋縄ではいかない・・・ヤレヤレ。《QED》