樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 698回】            一ニ・一・初八

    ――あ~りが~たや有難や、あ~りが~たや有難や・・・

    『国際共産主義運動簡史(1848-1917)』(上海師範大学 上海人民出版社 1976年)

 編著者は上海師範大学政治教育系《国際共産主義運動簡史》編写組。1976年4月、つまり毛沢東の死の5ヶ月、四人組逮捕の半年前の出版である。

 この本の表紙を開くと先ず現れる「馬克思 恩格斯(マルクス エンゲルス)語録」には、「共産党人は己の観点と意図を覆い隠すことを潔しとしない。眼前の全ての社会制度を暴力によって転覆させてこそ己の目的が達成できることを高らかに公明正大に宣言する。支配階級をして共産主義革命の面前で慄然とさせしめよ。この革命においてプロレタリアが失うものは手枷と足枷のみ。そして獲るものは、世界の全てだ」とある。

 次の「列寧(レーニン)語録」が「プロレタリア階級が勝利を獲るために準備する必要条件の1つは、つまり長期の頑強で非情な闘争を進め、機会主義、改良主義、排外的愛国主義、この種のブルジョワ階級の影響と思潮に反対することだ。この種の影響と思潮は不可避だが、それはプロレタリア階級が資本主義の環境で行動するからだ。こういった闘争を進めず、労働運動における機会主義に予め完全に勝利しなければ、プロレタリア独裁など根本的に語るには及ばない」と続く。

 そこで最後の「毛主席語録」が、「社会主義制度は究極的に資本主義制度に代わる。これは人々の個人的意志によっては転換しえない客観的規律だ。反動派が歴史の歯車が前進することを止めることを狙って何を企図しようとも、遅かれ早かれ革命は起こり、必然的に勝利を勝ち取るのだ」となる。

 まさにプロレタリア階級暴力革命への猛々しも狂おしいばかりの雄叫び。

 ――世界は19世紀の40年代に「プロレタリア階級と革命人民が世界を認識し改造するための鋭利な武器」として、「プロレタリア階級革命の科学的理論」であるマルクス主義を獲得した。以後、1848年のヨーロッパ革命の嵐という試練を経てマルクス主義は発展した。第1インター期、マルクスとエンゲルスは一切の機会主義に反対し、パリ・コンミューンにおける試練をプロレタリア階級は克服し、欧米における建党闘争の渦中でマルクスとエンゲルスは再び機会主義と徹底した戦いを展開する。マルクス死後、エンゲルスはマルクス主義の戦いを断固として推し進め、やがて革命の松明はレーニンに受け継がれる。

 レーニンは、革命を勝利に導くための鉄の規律で武装された新しいマルクス主義政党を建党した。1905年の革命退潮期に機会主義に反対し、民族殖民地闘争に置いては修正主義に反対し、対帝国主義戦争においては第2インターの修正主義と戦い、1917年、ついに社会主義10月革命に勝利し、人類史における新しい紀元を切り拓いた――以上が要約である。

 この本はマルクス、エンゲルス、レーニンが一貫して機会主義に反対した姿勢を最大限に評価しているが、勇ましい表現とは裏腹に行間に漂う悲壮感は何とも痛ましい限りだ。ある意味では、この本は文革派の黄昏を象徴しているようにも思える。

 この本が「レーニン主義誕生以後、世界情勢に大いなる変化が起きた。レーニン主義の基本原則は時代遅れになったわけではない。依然としてプロレタリア階級の革命と独裁の理論的基礎であり続ける」とし、「偉大なるレーニンは永遠に不滅だ!」と結んでいるということは、中国共産党の最後の拠り所はレーニン主義ということになるわけだ。ならば現在の金満中国を市場レーニン主義が取り仕切っているのも何となく納得できてしまう。

 レーニン主義は、かつての中国では革命の神、いまや有難い財神・・・変幻自在です。《QED》