樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 684回】             一一・十ニ・仲七

      ――バカも休み休みに願います・・・(その2)

 前回拙稿で言及した同じ産経新聞(12月10日)の「土日曜日に書く」欄で、皿木喜久論説委員の「あの『南進』とこの『南進』」を目にした。これまた坂元大阪大学教授と同じように歴史と現実に目を瞑った、屁の役にも立たない“作文”といったところだろうか。

 皿木委員は、「あの『南進』」は「資源に恵まれない日本の『自存自衛』のための決断だったことは間違いない」としながらも、じつは「自国の繁栄を守るための」「長期戦略に欠けていたこともまた事実だと言うしかない」とした後に筆を転じて、「では今、中国がとっている『南進』政策はどうだろう」と疑問を提示する。

 「このところ東シナ海、南シナ海ばかりではなく、南太平洋の島嶼国へも投資を通じ進出をはかっている」中国は、「軍事力を背景に関係国とのトラブルを起こし、反発を買いながらも、海洋開発による資源確保をはかっている点など、日本の戦前の『南進』を思わせることは多い」。加えるに「この地域に圧倒的影響力を持つ米国が中東や北東アジアに力を削がれている間隙を狙っているように見える点でも共通している」。そこで「案の定、米国は反撃の構えをみせている」し、だからこそ「東アジアサミットでも、オバマ大統領は南シナ海問題で積極的に『口出し』をした」だけでなく、現実的にもオーストラリア北部に海兵隊を駐留させ、「インドも巻き込んで対中包囲網を狭めている」。

 以上のように現状を分析した後、皿木委員は「中国には対戦国、日本の『南進』の歴史から学んだ教訓はあるのか。歯止めをかける長期戦略はあるのか」と説教を垂れる。これではまるで、ABCD包囲網に立ち向かった日本の“轍”を踏むなと督励しているようなものだ。だいたい古今東西、外に向かって膨張しようと国論が挙げて燃え盛っている際に、「歯止めをかける長期戦略」を持つように最初から冷静に振る舞いうるだけの“理性的国家”があっただろうか。おそらく今後もありえないと思える。先頃亡くなった立川談志師匠の口吻に倣うなら、それが国家であり国論が持つ“業”に違いない。

 かくして皿木委員は「ないとすればこの国は文字通りの『危険水域』にまで達している」などと大所高所からの教訓を開陳してみせる。だが、現実的に考えて、内外共に“雪隠詰め状態”の現在の日本に「ないとすればこの国は文字通りの『危険水域』にまで達している」などと暢気に構えている余裕も、“敵に塩“を送っている暇も文字通り全くないはずだ。皮肉でもなんでもなく、「『危険水域』にまで達している」のは我が日本ではないか。

 いったい現在の北京が進めている「この『南進』」と昭和前期日本の「あの『南進』」を同じ次元で論じること自体が間違いだろう。それは彼の民族の歴史が物語っている。「この『南進』」は昨今の膨張経済に伴う資源確保に起因する「自存自衛」の戦略であることはもちろんだが、それ以上に彼の民族が誕生した時から運命づけられた道と考えられるのだ。

遥か太古の昔、黄土高原の霞の中から生まれた彼らの祖先は、自らに備わった稀有な雑食性と繁殖力を武器に生存空間を求め南に東に移動し版図を拡大してきた。これこそが中華帝国の本質であり彼の民族の歩みだ。だが、雑食性と繁殖力は矛盾する。食べれば増えるが、増えすぎると食べられなくなる。国門を閉じ彼らを国内に押し止めた毛沢東政治は食べさせられなくなって破綻した。そこで鄧小平は国を開く。彼らの「自己人(なかま)」である華人が経済を握る東南アジアに南進させることで、民族本来の道を歩みだしたのだ。多くの華人企業家もまた得意のソロバンを弾きつつ、「この『南進』」に乗ろうとする。

やはり人類史という視点に立ってこそ、「この『南進』」は論じられるべきだろう。《QED》