樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 677回】         一一・十一・三〇

     ――臭いものにフタは・・・しません

     『臭美的馬桶』(扎西・劉 中国旅游出版社 2005年)

 現実に中国人と付き合い、彼らと生活を共にしてみると、厠所(べんじょ)というか糞尿というか、はたまたアンモニア臭というか、ともかくも臭い話には事欠かないものだ。

 最初の“遭遇”が、1968年の夏に語学研修で2か月ほど滞在した台湾だった。知り合いになった大学生の家庭に招待された。居間に並べた精一杯のご馳走での歓待というわけだが、隣が厠所で戸は開けっ放し。どうしたって目の隅に便器が入ってくる。そのうえに、使用中の音も聞こえる。こういった環境でも歓談し料理を楽しむ図太い神経に恐れ入った。だが、この程度で恐れ入っているようではダメだ。“多文化共生”なんて、寝言と同じだ。

 次の衝撃は留学中の香港。大学の厠所には「お務めの後は水で流せ」と厳重注意。つまり流さないヤツがいるわけだ。立派な“作品”にお目にかかることは日常茶飯事。街角の公衆厠所は仕切りも戸も腰の高さほど。見まいとしても、「お務め」の姿が目に入ってくる。そのうえ戸を閉めないで威風堂々たる「お務め」が一般的。足元には溝が切ってあるだけ。そこで隣の方の「お務め」を現在進行形で眺めることができる。ということは、自分も眺められている。時折、溝には水が流されるが、重量感溢れる“作品”が簡単に流れるワケがなく、鎮座したまま。さて壁に目を転ずると、「塗り付けるな」の注意書き。判りますね。

 数年前の開港直後のピカピカの重慶新国際空港。前夜の辛い火鍋と強烈な酒が災いし、空港に到着した途端、強烈な便意。だが厠所の表示など探す手間は不要だ。強烈なアンモニア臭に誘われれば、最短時間で到着可能。大便用が10室ほど。一番手前のドアを開ける。おやおや便器の中は豪華テンコ盛り。流石に遠慮して次へ。ここも。その次へ、そこも・・・全室すべて豪華テンコ盛り。その壮観さに暫し便意は吹き飛んだ。だが、この程度に感激し便意を忘れてしまうようでは、“子々孫々までの日中友好”など絵に描いた餅以下である。

 30数年前、初めて訪れた上海の早朝の旧市街で、家々から桶を持ち出し中身を道端の側溝に撒き捨て、空っぽになった桶に水を入れて掃除している光景に出くわした。これが馬桶(おまる)との最初の出会いだ。家々には厠所がない。そこで馬桶が厠所代わり、いや厠所そのもの。朝早く起きて前夜まで溜まった分を捨てていたというわけだ。馬桶に塗られた朱の鮮やかさは、鼻にツーンと来る臭気と共に、いまでも脳裏に強烈に刻まれている。

 著者は「即将逝去的生活(消え逝く生活)」を求めて中国各地を旅するカメラマン。馬桶の歴史からはじまり、馬桶にまつわる庶民の営みを詳細に綴っている。漢代には「虎子」と呼ばれていたようだが、おそらく当時は虎の背に跨った心算になって豪気な気分での「お務め」だっただろう。もちろん王侯貴族や大商人など特権階級だけが許されていたはず。いつ頃から現在の桶型に”進化“したのか。洗浄には水が必要不可欠であることから、水量豊かな運河・水路が四通八達した揚子江下流の江南の水郷地帯で一般化したとのこと。

 著者は現に残る馬桶を求めて上海、南京、蘇洲、杭州などを回る。上海で最も盛んだったのは1930、40年代。毎朝、馬桶を集め洗浄して返却する糞夫は5000人余。その総元締めは「糞大王」とも呼ばれ、黒社会にとっても実入りのいい商売だった。ということは、彼らの金蔓は糞とアヘン・・・なんとも汚い奴らメ。南京人は馬桶に腰かけてモノを食べることを「龍虎闘」といって好んだとか・・・誠に以て臭い方々であることか。

 行間にアンモニア臭が感じられる本なんて、稀覯本中の稀覯本。是非一読を。《QED》