樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 658回】           一一・十・念三

      ――いま、タイの水害に思う

 タイ全土の3分の1が水没し、バンコク北郊のアユタヤに広がる工業団地に展開する400社超の日系企業が操業停止状態に追い込まれた。洪水は都心から北へ30キロ弱のドンムアン空港近くまで押し寄せ、首都バンコクの水没阻止を最優先に、防水対策にかんする非常大権が首相に与えられた。連日、日本のメディアも洪水が日系企業に与える影響を中心に被害情況を報じている。事態は深刻の度を加えているようだ。

 確かに今次水害の最大の要因は、誰もが指摘するように例年を遥かに超える「想定外」の降雨量だろう。だが、それだけで、これほどまでに被害が広がただろうか。やはり人災という側面を押さえておくべきだろう。

 その第1は、アユタヤに工業団地を集中して造成したこと。かつてアユタヤ近辺には広大な水田が広がっていた。北タイに降った雨は、1ヶ月ほどかけてアユタヤ近辺に流れ着く。大量の水はタイを南北に貫く大河のチャオピア川から溢れ出す。だが水田が天然の貯水池の役割を果たし、溜められた水が一気に下流に流れ下ることはなかった。タイの稲は日本種とは違い水の深い水田でも収穫ができる。つまり、かつてのアユタヤに広がっていた広大な水田は豊かなタイ米を育むだけではなく、天然の貯水池の役割を果たしていたのだ。

 ところが85年9月のプラザ合意を機に「円」がタイに集中豪雨のように降り注ぐや、情況は一変する。大量進出する日本の製造業を顧客として、水田に土盛りを施し工業団地を造成しなじめたのだ。円高に押されるように日系企業のタイ進出ブームが起こり、その数を増すほどに工業団地造成は急ピッチで進み、規模は大型化する。雇用は拡大し、地元経済は活況をみせるが、その反対に水田面積が減少することで貯水能力は低下の一途を辿る。工業団地に生まれ変わった元農地から天然の貯水池機能は失せ、上流からの大量の水は工業団地を洗い、アユタヤの別名である「東洋のデトロイト」を操業停止状態に追い込み、やがて逃げ場を失った大量の水は下流のバンコクに押し寄せるという仕組みである。

 第2はバンコクの都市構造だ。かつて「東洋のベニス」とまで呼ばれた水の都は、いまや世界有数の交通渋滞の街と化した。かつて、この街を縦横に奔っていた水路は埋め立てたられ道路となり、押し寄せる水は逃げ場を失い道路に溢れ返ることになる。

 第3は05年末から続くタクシン対反タクシンの政争だろう。首相在任時、タクシンはバンコクを中心にタイ心臓部の抜本的治水計画の実現を目指したことがある。だが、それまでのタイを経営してきた既存勢力のABCM複合体(A=王室、B=官僚、C=既存財閥、M=国軍)は、タクシンら新興勢力による「タイ改造計画」に既得権を奪われることに危機感を募らせ、その一掃を目指した。06年9月のタクシン追放クーデター以後のタイ内政は、「黄シャツ」で知られる反タクシン派と「赤シャツ」を着たタクシン支持派の対立に終始し、いまも後遺症が癒える気配はない。国軍首脳にしてもバンコク都知事にしても、動きの鈍さはインラック首相の背後に控えるタクシンの存在に起因しているようだ。

 第4は日系企業の危機管理である。この洪水は日本の代表的製造業の大部分がアユタヤで一極集中的に操業していた。つまり「想定外」の事態に遭遇した場合、一蓮托生の運命にあったことを図らずも浮かび上がらせてくれた。やはり日系企業経営陣には、改めて「手持ちの卵の凡てを1つの籠に入れておくな」という知恵に思いを致してもらいたいものだ。

 タイの今次水害を、長年の友好国を襲った天災として終らせてはならない。《QED》