樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《剃頭歌 天災人禍 竊竊然》⇒《難癖を つけてアイツを 血祭りに》
  【知道中国 657回】            一一・十・念一

     ――鉄より硬い信念、曇りなき良心・・・嗚呼、鋼鉄の革命戦士

     『一心為公的硬骨頭戦士 張春玉』(中国青年出版社 1966年)
 
 「毛主席の親密なる戦友」だった林彪を従え、毛沢東が天安門楼上に立ち、眼下に広がる広大な広場を埋め尽くした100万人余の紅衛兵を接見したのは、この本出版から2ヶ月が過ぎた66年8月だった。この時、中国全土を舞台にして、興奮と熱狂とに包まれた文革の悲喜劇の幕が開く。否も応もなく、中国人は地獄の扉の前に立たされたのだ。

 銃を背負い、右肩に鶴嘴を担ぎ、『毛沢東選集 第四巻』を左手で胸に大事そうに抱え込む目鼻立ちのはっきりした若き鉄道兵士。背景には鬱蒼と茂る森林が描かれ、その向こうに昇る大きく真っ赤な旭日――もちろん真っ赤な太陽は毛沢東を指し示しているわけだが、表紙のイラストは、この本のすべてを物語っているといえるだろう。この本は若き鉄道兵士の張春玉の日記の一部と、「人民日報」「解放軍報」、つまり文革派の宣伝メディアに掲載された張を華々しく讃える数編の論文で構成されている。

 まるで“お約束”ででもあったかのように、彼もまた「貧困家庭出身」の生まれだ。「張春玉同志は毛沢東思想に育まれながら、労働に、任務に、階級闘争において艱難辛苦のかなで成長し、強靭なる共産主義戦士に成長した」。「彼は生死の間を彷徨うような苦しい経験、さらには重傷を負う闘争を繰り返すなかで、・・・階級闘争における鋼鉄の戦士に鍛え上げられ」ていった。かくて、「毛主席の階級闘争学説は、張春玉同志に階級闘争を永遠に忘れてはならないことを教えた」のである。

 それゆえに張は日記に、「毛主席は『社会主義制度の建設は、我われのために理想郷に到る道を切り開いてくれるのだ。だが理想郷の実現はひとえに我らの真摯な労働にかかっているのだ』と教えている。そうだ。毛沢東の時代に生きていることは幸福であり、なんにもまして誇り高いことなのだ。だが、幸福への道の上でなにもせずに立っていられるだろうか。出来ない。断固として、それは出来ない。幸福への道において全身全霊で働き、さらに幸福な生活を創造し、我が国をより富強で、より麗しくしなければならい」と綴り、「心の底から革命を想い、人民のために如何なる苦労も厭わず、一分一秒を党に捧げ、心から同志を想い、己より戦友に心を配り、一瞬一瞬を他人のために尽くそう」、或いは「我が一生を土塊、石、枕木と化し、共産主義に進む大道建設に邁進しよう。革命の列車を我が五体を乗り越え、全速で前進させよう」と、その“崇高極まりない決意”を表明している。

 当時、自らを蔑ろにする劉少奇に狙いを定め、その失脚を策謀していた毛沢東にとって最大の関心事はやはり強力な助っ人であり手駒だったに違いない。毛沢東は最大最強の「暴力装置」である人民解放軍の指揮権を持つ林彪を仲間に引き入れる一方、純粋無垢であるがゆえに凶暴・無謀で過激な若者を唆し、彼らに政治的前衛であると同時に社会の道徳的前衛を担わせた。毛沢東に盲従し、毛沢東の指し示す規律を厳守し、勤勉で大義のために殉ずる。なによりも全身全霊をなげうって毛沢東に奉仕し、誰もが純粋で、毛沢東を守るためには、自らの命を捧げ尽くすことを厭わない政治的サイボーグに仕立て上げた。この本は若者を純粋過激な毛沢東主義者に育て上げるための教材だった、ということになる。

 その後、「一瞬一瞬を他人のために尽くそう」と学んだはずの張春玉世代は超自己チュー金満中国「に進む大道建設に邁進し」た。毛沢東思想を「土塊、石」の如く捨て去って。《QED》