樋泉克夫教授コラム

  【知道中国 655回】            一一・十・仲七

      ――“無告の民”の声に耳を傾けると・・・

     『中国最後の証言者たち』(欣然 ランダムハウスジャパン 2011年)

 現在はイギリスに住む元官製ジャーナリストの著者が、英国人の夫と共に「政治によって荒廃し不毛の地と化した現代中国社会」を歩き、そこに生きる名もない庶民の声を引き出した。なにはともあれ、彼らの声を拾ってみよう。

■法体系ってなんのことだね。法律なんか存在しないも同然よ。法律とは上司の顔に浮かんだ表情であり、ボスが口にしたことなんだ。

■反右派闘争とは、誰もがあえて真実を語らないことを意味した。

■私たちは指導者を奉ることに必死なあまり、個人的な追及まで考えが至らなかったのです。

■本能の産物である暴政と独裁を抑えるために、民主主義が必要なのです。

■(この頃の幹部は)すっかり変わったわね。昔の面影はない。あんたも毎日ニュースで見るだろう? 彼らは“食べて取って強請り騙し取る”だけだ。かつては上級幹部だろうと普通の幹部だろうと、悪いことをすれば厳しく罰せられたものだ。・・・こんなに堕落するのも、彼らに心配することがあまりなく、生活水準が高くなったためだと思う。幹部の中には仕事をないがしろにして、しかも自分は偉いと思い込んでいる者もいる。大ご馳走をがつがつ食べ、酒をがぶ飲みする。

■(一番不孝なことはと問われ)一番不幸なことだって? 役所の中には乱暴な振舞いをする者もいるね。大きい声では言わないけれど、本当は許せないことだ。農民の幹部については、今より昔のほうがよかったな。そんなことは口にださないけどね。

■(この20年間の変化を問われ)今ではみんながお互いを出し抜こうとしています。心身ともに疲れますね。・・・文化大革命の後特に特に悪くなりましたね。前はそれほどでもなかった。今では人々の考え方が混乱しています。悪い精神を身につけてしまい、よい習慣を学ぼうともしない。お金のことばかり考えて、人間については気にもかけない。これが国の進歩を妨げているのでしょう。

■(開放後に海外に行ってみて)日本とアメリカには一番衝撃を受けました。・・・私たちより礼儀正しく洗練されていましたね。具体例を挙げると、公共のバスに乗るときも誰も押したりせず、言われなくても列を作ります。当時ですら街は中国以上に清潔で、二ヵ月たっても私の靴底はきれいなままでした。

■(文革の)当時はみんなが常軌を逸していて、中には本当に気が狂っていたか、そのふりをしている者もいました。気が狂っているふりでもしないと、政治的要求の期待に沿うことができず、当時のイデオロギーに合わせることができなかったんでしょうね。

 著者に拠れば、「最西端の最も貧しい地域に、東部に集中する中央政府当局が発した政策や命令が到達するには、二〇年以上もかかった。生活条件の改善にも同じだけの歳月がかかった」とのことだ。「貧困地帯の公務員は教育水準が低くて、法的自由に対する関心も薄く、政府の運営する施設だけをやみくもに尊重する傾向があ」り、「小さな町はよく知られる大きなモデル都市と比べて、一〇年、二〇年、三〇年と後れをとっている」そうだ。そして最後に、「中国国旗はなぜ同胞の血に染められなければならないのか」と問う。《QED》