樋泉克夫教授コラム

~川柳~
《反右派 民主党派 就完蛋》⇒《批判した ヤツは断じて 許さない》
*毛沢東の誘いに応じて共産党を批判した民主諸党派は「右派」と断罪され政治的に扼殺される。これを毛沢東は「陽謀」と嘯いた

  【知道中国 608回】          一一・七・念六

      ――“狂気乱舞”したのは、はたして四人組だけだったのか

      『中国歴史上的宇宙理論』(鄭文光・席沢宗 人民出版社 1975年)

 毛沢東思想こそが至高・至上であるとする四人組は、海外の技術や学説を取り入れようとする動きを「劣悪で腐りきった西洋の奴隷」という意味で「洋奴哲学」と呼び、断固として否定していた。そんな四人組の時代に宇宙理論である。なんとも不思議だ。

 先ず「わが国は世界的に見て最も早く農業・牧畜業生産が発達した国家の1つであり、それゆえに世界の中では最も早く天文学が発達した国の1つでもある」とし、それゆえに古代から太陽・月・星の運行や気候の観察記録などが遺され、初歩的とはいうものの現代に通ずる科学的自然観が育まれていた。ところが孔子や孟子を始祖とする儒家が登場し、「意志、目的を持つ人格神としての『天』を捏造するに及んで宇宙の謎への探索が阻害されてしまった」というのだ。

 「天」は絶対不可侵で絶対聖の存在であり、天の下に存在する凡てを統括し秩序を定める。天の意志を地上に実現させるべき役割を担った唯一の存在が天の子、つまり天子=皇帝であればこそ、地上の一切は天の徳を具備した皇帝の意志によって司られ、至上の徳を備えた皇帝によって政治が行われることこそが、老百姓(じんみん)にとっての至福である――これが儒学者の説くところだ。歴代王朝が儒教を国教化し、皇帝が自らの統治の正当性の根拠を儒教に求めてきたことから、天=宇宙天体の仕組みを科学的に解き明かすことがタブーになり、自然科学の発達が阻害されてしまった。だが中国では、古代から様々な天体観測機器が発明され、天体観測が果敢に行われ、天体の運行や気象などに関する論争が繰り広げられ、多くの成果を挙げてきた。

 以上がこの本の概要だが、ここで興味深いのは「コペルニクス説がわが国に伝わったことこそ、唯物主義の勝利である」と説く「第七章 外国の宇宙理論受容の闘争をめぐって」だろう。ここで著者は近代史に大きな足跡を残した人物を例に、彼らが西洋の宇宙天体学説を積極的に取り入れたと賞賛しているのだ。

 たとえば19世紀半ばに太平天国を打ちたて清朝の支配に大打撃を与えた洪秀全は、古来の陰暦を否定し陽暦の長所を採用した「天暦」を採用するなど儒教の説く天命論に徹底して反対した。清末に清朝改革運動を進めた康有為、譚嗣同らは「ヨーロッパの科学が獲得したコペルニクスからダーウィンまでの成果を吸収して封建頑固派の孔孟の道を批判する思想の武器とし、変法維新のための輿論とした」。

 ハクスレーの学説を『天演論』として出版した厳復は「『天運』、つまり物質と力学の相互作用という考えを提示し、天を最高の主宰とする古来の考えを乗り越えようとした」。辛亥革命の精神主柱であった章太炎が荀子の説を援用して掲げた「革天」という主張は「革命とは同時に天の命を革めることであり」、「封建統治を暴力によってひっくり返そうという進歩的な要求を直接的に反映したものだ」。

 辛亥革命を指導した孫文は「西洋の近代科学知識を自らの革命学説に取り入れ、わが国の無神論の伝統を新しい科学知識と融合させ、反天命の立場を鮮明に打ち出した」

――どうやら中国の近代史は西洋科学思想、つまり四人組が唾棄し徹底否定した「洋奴哲学」によって築かれたようだ。あるいは著者は敢えて政治とは懸け離れた宇宙理論を持ち出すことで実事求是、つまり事実に基づいて物事を進めるべきであり、事実の中にこそ道理があることを示そうとしたのかも・・・ならば鄧小平思想の魁ということになる。《QED》