樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《斉老去 改造妓女 赴新疆》⇒《妓女(おねえさん) 心身改め 新疆へ》

  【知道中国 583回】            一一・六・初六

     ――歴史は繰り返す・・・ものらしい

     『労改写真』(王大衛 紐育書局 2011年)

 労働能力を持つ自由剥奪刑の受刑者を強制労働を通じて再教育するという施設が中国全土に数多く存在する。略して労改(Laogai)。正式名称は労働改造所。これを要するに、共産党に刃向かう不届き千万な奴や一般犯罪者を劣悪な環境下に置き、働けるうちは徹底して働いて貰おうということだろう。この本は、そんな労改で人権無視の非人間的な生活を強いられているとされる受刑者の“真実”を写(書き記し)したものだ。

 巻頭から巻末まで想像を絶するばかりの過酷な内情が詳細に綴られているが、労改の体験者でなければ語ることができないだろうと思われる記述も数多く見られるだけに、あるいは著者は実際に過酷な運命を生き抜いてきたとも考えられる。

 著者は受刑者が人間として壊れてゆくキッカケは、管理者による理不尽な取り扱いでも、仲間からの暴力でもない。身の回りの細々したことに関心をなくした時だといい、「個人の尊厳を維持する手段としては清潔さを保つこと、できるだけきれいにしていることが必要だった」と綴る。そのことを著者に教えた老受刑者は、その方法を、50年代前半にみた日本人捕虜から学んだそうだ。「日本人は大きな樽を用意して、粗末だが洗い場を作り、日本式の風呂にはいることで、日本人としての矜持を保った、というのだ。どうやら自尊心は無気力な生活のなかで崩れてゆくようだ。先ず衛生や身だしなみへの関心を失い、次に囚人仲間、遂には己にも無関心になってしまう。自らの生命への執着を失くした時、ヒトとして壊れはじめる。ともかくも、自分の意思でできる日課を繰り返すことが、堕落と確実な死から自分を守ってくれた。だから私は誰がなんといおうと、そういう日々を貫いた」。

 次いで過酷な生活を強いられる労改で日常化している死について、「労改での無名の死は悲惨だ。死者がどこに埋葬されたのか。受刑者の死後に死亡証明書が書かれたのか。それさえさっぱり判らない・・・。その死は誰にも伝えられず、埋葬場所も判らない。地上に存在したという痕跡の一切は煙のように、無常にも消えてしまう。受刑者にとっての最大の苦悩は、自分が誰だったのかも判らずに葬られることだった」と、地上に生きた一切の証を遺せないままに死を迎えなければならない運命を恨む。恐怖、不条理・・・憂憤。

 では死んだ後はどうなるのか。「死んだ受刑者を乗せた荷車が労改の門を出る前、死を装って出て行く者がいないのかを確かめるため、監視官は手にした先の尖った鉄の棒を死体の頭に打ち下ろす。労改を出た死体は事前に用意してあった幅広い溝に放り込まれる。溝を掘ったのも、死体を放り込むのも、同じ受刑者仲間だ。死亡者が増加するに従い、出所死体を確認する方法も簡便になってきた。鉄の棒を頭に振り下ろす代わりに、監視官は先を尖らせた太いワイヤーを死体の胸の辺りに突き刺す。確かに、重い鉄の棒より、こっちの方が楽だろう」とのことだが、ここで思い出されるのが明代の中国を旅したドミニコ会士ガスパール・ダ・クルスの著した『中国誌』だ。クルスは、「(役人は)鉄張り棒で(牢獄から出される)死体の尻を三発きつく殴」る。やがて「生の兆候は認められず、死んでいることは確かである」と認められた死体は「ごみ捨て場に投棄」と綴っている。

「鉄張り棒で死体の尻を三発きつく殴」ってから500年ほどの後、21世紀の中国では「先の尖った鉄の棒を死体の頭に打ち下ろす」。確かに、事実は小説より奇とはいうが。《QED》