樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《就完蛋 人材之戦 銭穆去》⇒《銭穆は 共産党(とう)を嫌って 香港へ》

  【知道中国581回】            一一・六・初二

     ――とてもじゃないが、マトモじゃないヨ

     『華主席登上天安門』(上海人民出版社 1977年)

 四人組逮捕の3ヶ月後に出版されたこの歌集の巻頭に置かれた「内容提要」によれば、「主に労働者・農民・兵士・紅小兵から寄せられた作品」が収められ、「毛主席が我われのために後継者を選んでくださった海より深く山よりも高い温情を、限りない激情を以って讃え」、「華主席という英明な領袖を持った我らの喜び溢れる真情を述べ尽くし」、「押さえきれない怒りを以って四人組の数限りない犯罪を暴き」、「巧妙で悪辣極まりない四人組の化けの皮を剥し」、「上海人民と紅小兵が華主席を首(かしら)とする党中央の指導の下に革命を継続しようという強烈な願いを表明した」そうだ。

 上海といえば四人組の牙城であり、四人組の思うがままに最も激しく文革運動が展開され、上海人民出版社は四人組にとって最大・最強の宣伝機関だった。それだけに、この歌集は、上海が華国鋒を新主席とする北京の党中央に対して示した“恭順の意”とも考えられる。四人組の関係勢力は一掃しました。過激な行動には奔りません。これからは「華主席を首とする党中央」に従います、ということだろうか。

 第一輯(22作品)で毛沢東、華国鋒、周恩来を讃え、第二輯(30作品)で四人組を徹底批判し、第三輯(22作品)で毛沢東に感謝し、四人組一掃後の共産党員の喜びを明らかに詩、華国鋒への忠誠を誓う――これが歌集の概要だが、読み進むに従って、次々に現れる過剰なまでに大仰な形容詞に感心するやら呆れるやら・・・いや、寒心もする。

 たとえば「紅色江山永不改(あかいこくどは永久にかわらず)」をみると、「天安門が光り輝き、華主席が司令台に登る。耳をつんざく拍手は春雷のように、三江(かわ)と四海(うみ)を沸き立たせる。/天南地北(だいち)には紅旗舞い、山山に水水(みず)が涌きたち/熱烈に華主席を歓呼す。党のため、民のために四害(よにんぐみ)を取り除く。/神州(ちゅうごく)の八億は一斉に喜び祝い、家という家は彩灯(ランタン)を掲げる。後継者をえて党はいよいよ盛んに、紅色江山永不改」

 これは某港湾事務所に勤める労働者の作品だそうだが、次は小学生がこんなこと考えるかい、と思いたくなるような異様にオトナびた作品だ。題名は、「紅小兵は戦場へ」。

 「四人組は反動ヤロー、やりたい放題デタラメを。口では『団結』叫びはするが、腹でめぐらす党の分裂。/われら紅小兵だって、筆を手にして戦の庭に、四人組を薙ぎ倒し、党中央を死守するぞ」どうぞゴ勝手にといいたくなるが、それにしても第二輯に収められた作品にみえる四人組への悪罵は凄まじい。「黒妖(ようかい)」「偸盗(ぬすっと)」「老鼠(ねずみ)」「害虫」「癩蛤蟆(大ガマ)」「売国幇(ばいこくヤロー)」「大蛀虫(ごくつぶし)」「大壊蛋(おおバカ)」「拉圾(ゴミ)」「豺狼(やまいぬ・おおかみ=無慈悲な極悪人)」と四人組を呼び、「西洋人を見れば尻尾を振り、西洋人のケツに引っ付いてゆく」とまでも。極めつきは四人組は「四条狗(四匹の犬)」で、「狗尿一堆万年臭」との表現だ。漢字を見ただけでも雰囲気が伝わってくるようだが、敢えて訳すなら「四匹の犬の小便が積もり重なり、未来永劫、悪臭放つ」といったところだろうか。

 古来、人類はかくも悪臭漂う詩を作っただろうか。嗚呼、キミらは天才詩人。《QED》