樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《新皇帝 不管誰説 我天下》⇒《今日からは オレの天下だ 覚悟せよ》

  【知道中国 568回】            一一・五・初七

    ――はい、ほんの口先だけですから・・・

    『歴史潮流不可抗拒』(人民出版社 1971年)

 1971年10月25日の26回国連総会において、アルバニア、アルジェリアなど23ヶ国共同による「中華人民共和国の一切の権利を回復し、当該政府代表を国連組織における中国の唯一合法代表であり、蒋介石の代表が国連組織及び一切の機構において非合法に占拠してきた地位から直ちに駆逐する」との提案が、賛成76票、反対35票、棄権17票で通過。かくして国連成立時から中華民国が占めてきた国連における「中国」の席は、中華人民共和国に取って代わられたことになる。

 国連は世界平和を維持するための公正中立的機関ではなく、第二次大戦における連合=戦勝国(米ソ英仏中)が戦後の世界秩序を自らに有利に運ぶために作った組織であることは自明の理。そこで、この5ヶ国が安保理常任理事国として特権的地位を押さえた。45年の成立時、国際社会で「中国」と認められていたのは蒋介石を戴く中華民国であり、毛沢東が率いる中華人民共和国は地上に存在していなかった。その後、国共内戦を経て大陸に共産党政権が成立し、その時まで国際的に「中国」と認められていた中華民国は台湾に逼塞する羽目になったが、依然とした「中国」だった。米ソ冷戦時代・米ソ平和共存・中ソ対立・米中対立へと続く激動下、アメリカは外交的術策を尽くし国連の「中国」は中華民国でなければならないとしてきた。歴代自民党政権は一貫してワシントン側に立つ。

 だが、台湾に逼塞したままの中華民国を「中国」と強弁することは国際政治の現実には合わないとする国際与論が大勢を占め、かくして、この本が副題で誇示しているように「我国在聨合国的一切合法権利勝利恢復(我国の国連における一切の合法的権利、勝利のうちに恢復)」となる。もちろん北京が巧妙に弄した外交的手練手が奏功したわけだ、その柱は貧しいアフリカ諸国援助であり、60年代半ばに踏み切った核武装にあることをは明らかだ。

 この本には、26回大会の決議を受け北京からパリ経由でニューヨークに乗り込んだ代表団に対する各地の歓迎振り、中華人民共和国建国翌年の第5回(50年)から第25回(70年)までの国連総会における「中国」代表権を巡っての決議の推移、26回総会におけるモロッコ、タンザニア、ガーナ、赤道ギアナ、スーダン、ウガンダ、コンゴ、トーゴ、ニジェールなどアフリカを中心とする50数カ国の国連代表による歓迎演説などが納められている。

 ここで最も注目すべきは、この本の冒頭に置かれた「中華人民共和国声明」だろう。国連決議を受けて10月29日に発せられたこの声明では、国連における合法的地位の「恢復」と「蒋介石集団の駆逐」は、「毛主席のプロレタリア革命外交路線の勝利であり、全世界人民と断固として正義を掲げる凡ての国家の勝利である」とした後、この決議は「2つの超大国が自らの意思を他国に強要し、国連と国際社会における物事を自分勝手に取り決めようなどというインチキ商売に既に販路はないということを示している。大小に拘わらず国家は一律に平等であり、どのような国家であれその国家の人民が、世界のことは世界各国が、国連は国連に参加する凡ての国家が共同で管理しなければならない。これは現今の世界における抗うことのできない潮流である」と高らかに、決然と謳いあげている。

 いまや金権強権身勝手自国本位外交路線を狂奔する政権も、40年前に「大小に拘わらず国家は一律に平等」などとしおらしく口にしていた政権も、共に同じ中国共産党政権だということを努々忘れてはならない。「巧言令色、鮮し仁」とは、けだし名言だ。《QED》