樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《白受累 自力更生 無別路》⇒《煽られて 人民諸君 欺かれ》

  【知道中国 562回】            一一・四・念五

     ――奔って奔って奔って・・・その先に何が待っているんだろう

     『疾走中国』(ピーター・へスラー 白水社 2011年)

 著者はアメリカ人フリージャーナリスト。1996年から2年間、平和部隊の一員として四川省のある地方大学で英語を教えていたとか。2000年から07年まで「ニューヨーカー」特派員としての北京滞在。この間、北京北郊の三岔村の農家に借りた仕事場に住み農民と共に暮らしながら、北は内モンゴルから南は農民の起業に沸く長江流域の浙江省の温州一帯をレンタカーで歩き回り、変貌する農村の日々の暮らしを追った。

 猛烈な勢いで増加する車(2010年の新車販売台数1800万台突破で2年連続世界一)と急速に全国に張り巡らされる高速道路網(初の高速道路建設は1988年。2020年には総距離でアメリカを超える予定)が「農村から都会へ、畑作から起業へと、何千万人もが生活を変えている」原動力になっている。目敏い農民は農業を捨て起業の道に突っ走り、全土は沸騰するカネ儲けの坩堝と化した。「よく考えもせずにすばやく行動を起こした人が、結局は成功する例も多い。持続可能性など心配する余裕は誰にもない。・・・長期計画など意味がない。今日のこの日に利益を上げること、それが目標だ。ぐずぐずしていると、また変化の波に足をすくわれてしまうかもしれない」。貧困から脱したいと願えばこそ、中国人は息せき切って我先に奔りだした。

 「〇一年、私が三岔村に引っ越してきたころ、村の一人当たりの年収は約二〇〇〇元だった。それが五年間で六五〇〇元に急増したのだ。〇三年に二五元だった労働者の日当は、いまや五〇元だ」。だが、その一方で「九〇年から二〇〇二年までの間、六六〇〇万人の農民が農地を失ったといわれる」。それというのも、拡大する都市が住宅地確保のために周辺の農地を買い叩くことが認められる一方、「農村では、個人は農地を売買できない。抵当に入れることもできない。住んでいる家を担保に融資を受けることもできない」うえに、農地売買にかかわる「取引は普通、村政府が取り扱い、村政府は農地を失った農民に補償金を支払うことになっている。だが、腐敗が蔓延し、資金の流用はざらだった」からだ。

 こういった情況を著者は「農村部の仕組みは新旧(共産主義と資本主義)が入り混ったきわめて不公平なものになった」と指摘し、「共産党は、もはや斬新な思想の源泉ではないかもしれないが、いまだに信じられないほどよく組織され、まとまっている。そして党は、農民が人口の大部分を占める国家において、村の権力機構がどれほど重要かもよく理解している」という。「三岔村のようなところで権力を握っているのは共産党員だった。私が村に住みはじめたとき、党員は一七人いて、重要な取り決めはすべてこの人たちが行っていた。彼らは土地争いを仲裁し、公金を管理し、村で最高位である党書記を選出し、入党資格について判断を下した。彼らの承諾がなければ、誰も党員になれなかった」。党員でなかったら、肝心の農地売買に絡んだオイシイ話にすら絡めないということだ。

 共産党に代わりうる「村の権力機構」の存在を許さないことが共産党権力の淵源ということになるが、農民に関する生殺与奪の権を地主に確約することが王朝権力の基盤であった中華帝国の歴史を振り返れば、どうやら現在、13億を超える人びとは共産党を戴きながら共産党が強く否定した“旧い中国”にフルスピードで回帰しているようにも思える。

 かくて著者は、「これほどのスピードで変化する国で方向感覚を失わずに生きていくのは、不可能に近いかもしれない」と呟く。皆さん、頭を冷やしましょう、ネッ・・・です。《QED》