樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《是混乱 大家斉走 黄泉路》⇒《大混乱 世界全体 巻き込むな》

  【知道中国 556回】            一一・四・仲三

     ――唱って踊って・・・バカ騒ぎこそが政治だった

     『大躍進與農民』(黄仁毅 南嶺書屋 1993年)

 1958年に毛沢東が敢えて客観情況を無視し強引に踏み切り、結果として4000万人に及ぶ犠牲者を生み、その後の中国の歩みに大きな影響を与えた大躍進に関して、これまでも様々な研究や回想が発表されているが、この本は「天上と地上を、いや活けるものの悉くを訓致できると思い込んだがゆえに、毛沢東は大躍進政策を推し進めたのだ」とし、毛沢東が自らを絶対不可侵で絶対的に正しい存在と思い込んだことが「一切の悲劇の出発点であった」と説く。そして「あるいは朝鮮戦争を乗り切った自信と、比較的穏やかな社会主義化の実が挙がり国内的に迎えられたことが、毛沢東に心境の変化をもたらすだけでなく、彼に対する周囲の見方をも激変さることとなった」というのが、著者の主張だ。 

 毛沢東を大躍進に強引に突き進ませた国際的な要因として、ソ連がスターリン批判を敢行し対米協調路線に大きく舵を切った点も指摘しておくべきだろうが、この点については不思議なことに著者は言及していない。あるいは公然の事実として、敢えて取り上げる必要なしということかも知れない。ともあれ、アメリカ帝国主義と結託し修正主義に堕落したソ連に代わって中国を率いてオレが世界革命を領導してみせる。フルシチョフなにするものぞ――これこそが、当時の毛沢東の心境だったに違いない。

 著者は大躍進を推し進めた国内的要因を、「中華帝国以来の伝統的な社会・経済的背景に求めたい。つまり数千年続いた天子=皇帝による支配体質と極めて低い民度の社会において、これを全国的に制覇し統治するには理屈や理論を超えた“幻想”が必要だったと思える」と指摘する。つまり必要悪だとは知りつつも、個人崇拝を行わなければならず、それを否定することは、とりもなおさず共産党による統治の正当性と正統性の否定を意味することになってしまう。いいかえるなら、毛沢東が中華帝国の皇帝然として振舞うことが、共産党の確固とした統治基盤を保障する手っ取り早い方法だった、ということだ。

 かくて共産党ゴ用達の政治的演出家の登場となる。彼らは天安門広場を広大な芝居小屋に変えてしまった。メーデーやら国慶節に万民を動員し、人間の常識も科学の理論も遥かに超える生産高、驚異的な経済成長賛歌を唱いあげる芝居を演出してみせるようになった。過剰なまでの毛沢東賛歌は個人崇拝へ一直線である。大衆動員された人民の心に個人崇拝の思いが高まると同時に、それは全員参加型の共同娯楽として人民の間に定着していった。 

 人民は先を競って山車やら張りぼてを作り、その場に集う万民は演者となり観客となり、共同参加型の集団芝居に嬉々として参加した。毛沢東を讃えることは娯楽であり、娯楽であるからこそ、人民は抵抗なく個人崇拝を受け入れることができたのだろう。1人なら「偉大なる領袖」「百戦百勝の毛沢東思想」「中国人民を照らす真っ赤な太陽」などと気恥ずかしくて口にできない“掛け声”も、皆で揃って大声を張り上げるなら、恥ずかしくもなんともない。いやそればかりか、知らず知らずのうちに身に着いてしまう。確かに醜悪な姿だが、敢えて娯楽と思い込んでしまえば、けっこう陽気に振る舞えるものらしい。お祭りだからこそ稀有壮大なウソも無秩序と見紛う狂気も、なにもかもが許されてしまうのだ。

 農民の輝かしい成果――たとえそれが大嘘であったとしても――は、指導者である毛沢東の比類なき指導性と空前絶後の素晴らしさを満天下に示すこととなる。だが、「とどのつまり毛沢東は、口ではなんといおうと、農民なんか“ヘ”と思っていなかった。蔑視していた」と著者は指摘する。哀れ、踏んだり蹴ったり、蹴られたり・・・これが農民。《QED》