樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《山塞貨 世界品牌 什皆有》⇒《ニセですが ブランドなんでも 作ります》

  【知道中国 550回】            一一・四・初一

      ――なにはともあれ・・・ビックリ仰天

      『中国低層 訪談録(上・下)』(老威 長江文芸出版社 2001年)

 現代社会の「低層」に生きる人々――乞食、乞食の元締め、ヤクザ、売春婦、ヒモ、泥棒、棺桶職人などの聞き書きを纏めたこの本には、日本には伝えられそうにない素顔の中国が満載だ。なかでも興味深かった四川省成都の火葬場職員の話を紹介したい。

 1958年、毛沢東が、当時西側で世界第2位の経済大国だった英国を「15年で鉄鋼などの主要工業生産で追い越す」と大号令を下すと、国を挙げて鉄鋼生産に取り掛かった。職場や学校の庭や空き地に土法炉という素人手作りの粗末な溶鉱炉を作り、家庭などから持ち寄った窓枠や鍋釜を放り込み、近在の山から切り出した材木を燃料に“製鉄”に励んだ。

 そんな某日。彼が働いている火葬場に地域住民が大挙して押し寄せ、「火葬なんぞに使うより、鉄鋼生産に使わせろ」と息巻いた。溶鉱炉と火葬炉では構造が違うと説明しても、「人体も鉄も同じだ。お前たちは英国を追い抜き、米国に追いつくという毛主席の偉大な事業に反対するのか。大躍進に反対するとは大犯罪だ」といきり立つばかり。

 最終的には地区の共産党幹部の仲立ちで火葬場の庭に土法炉を作ることで一件落着となったが、以後、火葬場職員に土法炉の火入れという任務が加わったとか。その後、中国全土は飢餓地獄状態で、この火葬場にも夥しい数の遺体が運び込まれるようになる。もう製鉄どころの騒ぎではない。最悪の時期といわれた1960年後半には棺が不足し、遺体は蓆に包んだままで炉に。徹夜作業が続いた。それにしても人体と鉄が同じという理屈も凄いが、火葬炉で鉄を作ろうという発想には開いた口が塞がらない。

 次に彼が語ったのは、固く閉じられた口をこじ開けた話である。
 時は大躍進から10年ほど後の文化大革命に全土が激動し、一種の内戦状態に陥った時期のことだ。彼が働く火葬場に、犠牲になった紅衛兵の遺体が赤旗に包まれ次々に運び込まれる。激しい戦闘で酷く損傷している戦友の遺体を整えろと、紅衛兵が銃を手に彼を脅しあげる。先ずは水洗い。遺体を浸した水は、たちどころに赤黒く変色した。引き上げて、軟膏を塗り込み傷を隠し軍服に着替えさせる。

 敵の刃物で胸を一突きにされた遺体は、さぞや悔しかったとみえて、歯をかみ締め、目玉は外に飛び出している。長い間、顔面を撫でていたが、飛び出した目玉が正常の位置に戻らない。仕方なく目じりを鋏で切って、やっと納めた。ところが顎は硬く閉じられたまま。刃物を使っても開かない。道具を使って、無理やりコジ開けたのだが、舌は腐り、口の中には蛆虫がいっぱい。さすがに悪臭に耐えられず、外に飛び出して新鮮な空気を吸って気分一新。気持ちを入れ替えて遺体に向かう。歯ブラシで綺麗に掃除し、時間をかけて防腐作業を施した。

 すると、「怒りの形相が消え、誰もが知っている微笑が浮かんできた」。誠心誠意の作業に感動したのだろう、仲間たちは「紅衛兵」と書かれた腕章を彼の腕に巻きつけ、大声で「向工人階級学習(労働者階級に学ぼう)」とシュプレヒコールを繰り返し、彼を紅衛兵組織の一員に。労働者が紅衛兵に認められることは、当時、この上ない名誉だったのである。

 ――こんな話がテンコ盛り。読み進む程に、じつに奇妙な感覚に陥るが、これが“世界第2位の経済大国”の昨日までの、いやヒョッとすると今日の姿でもありそうだ。《QED》