樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《去下海 土地売買 賺多銭》⇒《アラ稼ぎ 手っ取り早いは 不動産》

  【知道中国 545回】            一一・三・念二

     ――算数教育もまた政治教育そのものなんです

     『談談小学算術応用題教学』(張季芳編著 湖北人民出版社 1956年)

 この本出版1年後の1957年10月に人類初の人工衛星を打ち上げ、時をおかずに1ヵ月後の11月4日にはライカ犬を人工衛星に乗せ、全世界をアッといわせた。4年後の61年には人類初の宇宙飛行士という栄誉を担うことになるガガーリンがボストーク1号で宇宙に飛び出す。まさに宇宙時代の幕を開け、宇宙開発・軍事技術・先端科学などの分野でアメリカの高い鼻をへし折り、ソ連は社会主義の優位を内外に強烈にみせつけた。  

 ソ連を先頭に、社会主義陣営は民生を犠牲にしてまでも必死になって科学技術振興に取り組む。それもこれも、社会主義の完全勝利を目指して。中国もまた例外ではなく、小学校でも科学技術の柱となる算数教育に力点が置かれたのだ。

 そんな重要な任務を帯びた算数教育に当たる教員に、応用問題作成の際の心構え、応用問題の持つ高貴な使命を叩き込もうというのが、この本の狙いである。かくして「算数は全面発展という教育方針を貫徹するための重要な学科の1つであり、小学校の全ての教育に服務するものである。算数に関する教学上の任務とは、小学校における算数の目的と任務を確固として貫徹させることに尽きる」と主張する。ならば問題となるのが「小学校における算数の目的と任務」ということだろうが、この本は、それを次の3点に絞る。

 第1は、児童が自覚的に確実に基本的算数知識を身に付けることを保障し、その知識を実際的に運用する技能を習得させることで、小学校卒業後に工業や農業の生産現場で進んだ数学を学ばせるための好条件を予め準備し基礎固をしておく。

 第2は、児童の知恵と論理的思考を涵養することで、①具体的事象を大まかに捉え抽象化する能力(例えば3人の友達、3個の卵、3本の棒、3個のボールなど身近な具体例から抽象的な「3」という数字の理解に至る)。②分析・推理・判断する能力(例えば既に学んだ1+1=2と2+1=3から出発し、(1+1)+(2+1)⇒2+3⇒5の理解に至る)。③児童の言語運用能力(文章題により思考と言語運用能力を高めるに至る)――を身に付ける。

 第3は、共産主義道徳の質と弁証法的唯物主義世界観の基礎を培うことで、①愛国主義の思想感情(「多くの算数の応用問題には、例えば先進的生産者の生産記録、英雄の模範的事跡、増産節約の具体例、児童の社会貢献など、祖国の社会主義建設と5カ年計画達成への奮闘努力の事例が反映されている。それゆえに応用問題の回答を通じて、児童は強烈な教育的影響を受ける」と主張する)。②弁証法的唯物主義世界観の基礎(「算数の概念と知識の凡ては、客観的事物・事象が脳内に反映し抽象・概括化の過程を経て生まれるものである。それゆえに人びとの認識をより高め、生産に寄与する手段となる」とする)――を学習する。

 ――まあ色々と理屈を挙げて説明されたところで、「はあ、そうですか」と応えるしかないのだが、「数年来のソ連の先進的経験を学習し」て編まれたこの本が出版される4ヶ月前の56年2月、じつはソ連ではフルシチョフが激しいスターリン批判を秘密裏に行っていた。スターリン批判という「ソ連の先進的経験」が後に中国からする激越で執拗なソ連社会帝国主義攻撃の発火点となったことを考えるなら、中国で「ソ連の先進的経験」を最も深刻に学習したのは児童などではなく、誰あろう毛沢東だったということになりますね。《QED》