樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《有地位 官商一体 去下海》⇒《役人は 地位が資本の アラ稼ぎ》

  【知道中国 544回】            一一・三・念

     ――「妙薬、口に苦し」とはいいますが・・・おいおいおい

      『本草綱目』(李時珍)
 
 中国人の悪食を評して机以外の四足はなんでも食べてしまう、という。だが、そんなことはない。机だって食べちまう。これが率直な感想だ。

 地上に存在するありとあらゆるモノの本質を究め、その薬効を探ろうとする本草学。その集大成が明代に李時珍によって編まれた『本草綱目』といわれている。いわば漢方薬学百科全書ともいえる『本草綱目』の最終部分で、彼は人体各部が持つ薬効について説く。

 「かつては骨、肉、胆、血などなんでも薬になるという考えがあったが、残酷極まりないことだ。そこで人が使ったことがあり、捨て去ることの出来ないもので、人道に反しないものだけを挙げて説明し、残忍で邪穢なものは採用しないことにした」と断ったうえで、乱髪、頭垢、膝頭垢、爪甲、牙歯、人屎、人汗、人血、乳汁、目涙、陰毛など挙げてはいるが、どんな薬効があるとういのか。

 たとえば耳塞、つまり耳クソの項には苦ショッパイ味で、温かいものは有毒。晒して乾燥させ粟粒ほどの大きさを毎晩点けると眼病に功能あり。蛇に噛まれたらミミズのクソと混ぜ合わせて傷口に塗れば、黄水が染み出てきて直ちに快癒する、とある。人骨は焼いて粉末にして酒と一緒に服用すれば、鞭打ちの刑を受けたとしても腫れることもないし傷も残らないとか。

 この他、人骨、人魂、天霊蓋、人胞、人勢、人胆、人肉、木乃伊、方民、人傀など、なんとも奇想天外で凶々しいい薬材が挙げられている。それにしても、なぜ、これほどまでにも人体を薬材とすることにこだわるのか。偶然にせよ意図したにせよ、薬効を見つける前提として人体を口にしなければならないはずだ。そこで考えてしまうのだが、薬効発見が目的だったのか。それとも、味を楽しむのが先だったのか。

 なにやら悩ましい問題だが、この程度で頭を捻っていたら先に進めない。そこで次はブタをみておくが、『本草綱目』が挙げるブタの薬効には、治癒困難な狂病治療に役立ち腎気虚竭を補すける、とある。変わったところでは猩々だろう。唇の肉が厚いのが上モノで、羹にして啜るがいい。食べると飢えることもなく、元気よく走り回ることができる。とても実在しそうにない彭侯という獣は木の幹から捕れるそうだ。肉の味は犬に似ていて、食べると邪気を退け志を壮くするとのこと。

 こう挙げられると、なんでも薬材に、つまりどんなものでも口にしてしまいそうだが、確かに『本草綱目』を読む限り、日用雑貨の類まで食べ尽くしてしまいかねかい。たとえば汗衫(汗の染みた下着)、孝子衫(両親を亡くした子供が身に着けた肌着)、病人衣、敗天公(破れ傘の骨)、草鞋、自経死縄(首吊り自殺で使われたロープ)、霊牀下鞋(死者を安置した寝床の下の履物)、死人枕席(死者が使った寝具)、暦日(こよみ)、鉄椎柄(金槌の柄)、馬絆縄(馬を引く綱)、縛豬縄(ブタを繋ぐ綱)、尿桶までも薬材にしてしまう。

 これらが、どのような工程を経て薬となり、どのような薬効があるのか。『本草綱目』は、そのことを詳細に伝えている。尿桶ですら、である。ならば机の脚なんぞは、リッパな薬材といってもよさそうだ。いやいや、世界が食べ尽くされてしまうと危惧しても、一向に不思議ではないはず。奇妙奇天烈・摩訶不思議・興味津々・奇奇怪怪・・・前途茫洋。《QED》