樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《没有変 清官海瑞 去何処》⇒《いつの世も 石部金吉 居場所なし》

  【知道中国 537回】            一一・三・初六
   
     ――あの広場で起こった凡てを、この両の目の奥底に収めてある・・・

     『党逼民反』(張大民 遠東出版社 1994年)

 「共産党政権が否定し続ける封建王朝と彼らとの間に、なんらの違いはない。だからこそ共産党政権は“正統性”を持った中国の政権だ」と、著者は皮肉に苦渋を交えて認めている。共産党政権は中華人民共和国建国の1949年を境に、それ以前を人民の膏血を絞り続けた否定すべき「旧中国」、以後を人民が主人公の輝かしい「新中国」と言い募る。だが中国の政権に「新」も「旧」も、ましてや「正」も「邪」もない。あるのは、独占した歴史解釈権によってデッチあげられた歴史を根拠に自らの正しさを糊塗し強弁する権力のみ。建国以来、共産党政権が中国の大地と人民に対して繰り返し強いてきたことは、まさに、そういうことだったのである――これが、この本の大意といっておこう。

 行間から迸るドロドロとした怨念や底なし沼のような深い諦念、さらには89年6月4日に向かって緊張感を増していった天安門広場における若者たちの詳細な記述などから判断して、著者は天安門事件を機に海外に逃れざるをえなかった元民主派のようにも思える。

 著者の氏素性や背景の詮索はともかくも、その主張は鋭く、激しい。
 先ず「党が切り開いた“輝かしい歴史”に、人民が唾する時が果たして来るのだろうか」と切り出した著者は、「歴史を秘密にすることで党は人民を狂わせ、絶望の淵に追いやった」と、共産党政権にとって歴史が権力維持の最強の道具であることを説く。そこで「このままでは、歴史は政治宣伝の従僕のまま。学問でも知識でも民族の物語でもなく、単なる人民支配のための道具であり、政策の一部でしかない」との主張が生まれてくるわけだが、では歴史=政策という人民支配のカラクリを暴くためには、なにを、どうすればよいのか。

 58年に強行した大躍進の大失敗が3000万人とも4000万人ともいわれる夥しい数の生命を奪ったことに、共産党政権は口を噤んでいた。現在では、その死を認めてはいるが政策失敗による餓死とはいわず、飽くまでも「非正常な死」と言い張る。人民の目を幻惑し、責任を回避しようとする魂胆は丸見えだ。60年代半ばから10年続いた文革においても、権力闘争の熱狂の中で大躍進に匹敵する数の人民が非業の死を遂げている。天安門事件にしても、実際に、どれだけの生命が奪われたのか。権力者の不作為が増大させた自然災害による大量死――共産党政権にとって“不都合な死”は闇から闇に葬り去られる。

「だからこそ」と著者は力説する。「この悪辣非道な体制を転覆させるためには、大躍進や文革、天安門事件、唐山や四川の大地震など、悪政の犠牲になって無残に命を失くさざるをえなかった夥しい数の犠牲者の名前を明らかにし、非業の死を記録することだ」。かくして「共産党政権成立以来、理不尽極まりない形で命を奪われた1人1人の名前を明らかにし彼らの生きた日の姿を記憶に留め、彼らの生と死が記録され、夥しい数の犠牲者の名前を刻んだ壁が天安門広場を取り囲んだ時、中国から共産党政権は消え去るだろう」、と。

 「人間が万能で自己犠牲の塊のようなロボットになる可能性を信じ込ませ、政治的ご都合主義から案出された浅はかで出来もしないウソの理想社会像を描きだし、その実現のために人間存在の凡てを捧げることを強要するような政治文化を拒否しなければならない」とも。そして最後の最後に、「人民の心と頭脳を征服しようとする試みを打ち破れ」と叫ぶ。

 だが胃袋さえ満杯なら、「心と頭脳を征服」されたことなんぞはケロッと忘れてしまう。漢民族の歩みが、そのことを教えてくれる。著者の絶叫は雄々しいだけに、空しい。《QED》