樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《同一様 貧下中農 楊白労》⇒《貧乏人 これが定めさ 中国だ》

  【知道中国 535回】               一一・三・初二

     ――おやおや、天に向かってツバですか・・・結構なことです

     『不完全酷刑档案』(董磊・徐軻編著 法律出版社2006年)

 多くの本に接するが、内容の凄まじさでいうなら、この本は間違いなく最右翼だ。

 この本は中国で古くから見られる処刑の数々を、写真、イラストなどを示しながら、その刑が行われていた時代、罪状、刑執行の歴史、処刑方法、受刑者名などを解説したもの。なにはさて置き目次に目を通すと、先ずは「斬刑・斬首、腰斬、梟首、鋸頭」、しばらく進むと「絞刑・絞、套白狼、背娘舅、立枷」で次は「鈍面・鞭撲、笞刹、断背、石撃」。最後は「圧軸・凌遅」まで。文字を眺めるだけで、おぞましい刑場の光景が想像されるだろう。その反面、背筋がゾクゾクと寒くなるような処刑方法を考え出してきた中国人の発想の豊かさに改めて感服し、驚愕する。よくぞまあ、ここまで残忍になれるものよ。嗚呼、感服。
 
 「刑場凝視」というコーナーでは歴史書の記述に基づいた刑執行の現場の様子がリアルに再現されていて、それなりに恐怖を感ずることもできる。

 そこで、1,2の例を、
 最初は「活剥」。かつては文字通り顔面の皮膚を剥ぐだけだったのが、元や明の時代になって遂には全身の皮膚を剥ぐスタイルに恐怖がエスカレートしていった、という。

 死刑囚を台の上にうつぶせに寝かせ、先ずは首から背中を経て肛門の辺りまで一気に刃物を入れ、蝶が羽を広げたように皮膚を剝す。夥しい量の鮮血が飛び散り、台の下は忽ちにして血溜まりだ。次いで両手と両足を断ち、体を返して胸の皮膚を剥いで首を落とす。執行者は剥ぎ取った皮膚を広げて風に当てるべく、刑場の木に掛ける。すると「真黒なカラスがカーカーと鳴き叫びながら、刑場の空を旋回する」とか。凄絶、寂寥このうえなし。
 もう少し凄まじいヤツということで、凌遅を。
 極めて鋭利な刃物で体を一寸刻みに傷つけ、たっぷりと時間を掛けてジワジワ、ジリジリ、ウジウジと弱らせる。殺すわけではない。囚人が死ぬのを待つという残酷極まりない処刑方法だが、明代には3日間に分けて3357回も刻まれた実例が記録されている。

 初日は337回。10回ごとに刑吏が声を掛け、囚人が気絶すると手を止める。息を吹き返すと、また10回。この繰り返しである。夕刻には獄舎に戻し、縄を解いて大量の食事を与える。明日も元気に刻まれなさい、とでもいうのか。2日目には苦しさの余り絶叫し皇帝にまつわる機密を口にしはじめたので、大きな桃を押し込んで口を塞いでしまった。また10回。気絶。刑執行停止。刑吏は手を休める。蘇生すると、また10回。絶命しても刑の執行は続く。それというのも中止した場合、刑吏に厳罰が下るからだそうだ。ともかくも数千回も切り刻む。以前、別の本で凌遅の刑とのキャプション入りの写真を見たことがあるが、その写真がマガイモノでなかったら、この刑は20世紀前半までは行われていたことになる。

 皇帝への造反、権力への反逆を犯した者に対する刑が残酷極まりないのは、それだけ「罪」を犯した者への底なし沼のような憎悪、怨恨があるのだろう。つまり刑は社会秩序を維持するための懲罰を遙かに超えたものであり、見せしめということになる。それはまた恐怖の裏返しであり、復讐の根を完全に断ち切るところに目的があるとしか考えられない。中途半端に温情を掛けたなら、いつの日にか復讐されかねないのである。

 表紙を開くと、最初の頁には「人類文明乃羞」と大きく記されている。だが、なぜ素直に「中華文明之羞」と認めようとしないのか。自らの民族的・歴史的な「羞」を「人類文明乃羞」にスリ替えようなんて・・・厚顔無恥で身勝手至極。呆れ返ってしまいマス。《QED》