【知道中国 525回】        一一・二・一〇

      ――ハゲしく煽動、ハゲしく闘争、ハゲしく失脚・・・嗚呼、ハゲ尽くし

     『“四人幫”言行録』(集之編 文化資料供應社 1977年)

 敢えていうまでもないだろうが、中国には「水に落ちた犬に石を投げつけろ」という“有り難い教訓“がある。権力の座から滑り落ちたヤツは徹底してぶちのめせ、ということ。なぜ、そんなヒドイ仕打ちができるのか。権力を失った者が復活してきたら怖いからだ。倍返しどころの騒ぎではない。想像を絶するほどの凄まじい報復が待っている。ならば報復できないように、この地上から完膚なきまでに抹殺してしまえ、である。

 映画監督の陳凱歌は幼い頃、おばあさんから「昔から中国では、押さえつけられてきた者が、正義を手にしたと思い込むと、もう頭には報復しかなかった。寛容などなどは考えられない。『相手が使った方法で、相手を治める』というのだ。そのため弾圧は子々孫々なくなりはしない。ただ相手が入れ替わるだけだ」という「明快な道理を教え」てもらったそうだ。(陳凱歌『私の紅衛兵時代 ある映画監督の青春』講談社現代新書 1995年)

 この本は書名からも判るように、最大・最強の後ろ盾であった毛沢東を76年9月に失ったことで、その1ヶ月後には権力の表舞台から引き摺り下ろされてしまった江青・張春橋・姚文元・王洪文の四人組という「水に落ちた犬」に投げつけられた数限りない「石」の1つである。江青を中心に四人組のそれまでの言行を並べたて、徹底して揶揄・嘲笑している。編者の弁では、四人組失脚後に中国各地の様々な新聞・雑誌などで報じられた批判・指弾や彼らを嘲り笑う漫画を集めたとのこと。眉ツバではなかろうかと思われる荒唐なものもあるが、四人組は権力闘争の敗者であればこそ、賊軍の辱めは甘んじて受けざるを得ないだろう。なにせそれまで、「相手が使った方法で、相手を治め」てきたわけだから。

 たとえば江青だが、彼女は中国歴代で超皇帝的に振舞った3人の女性――呂后、武則天、西太后に自らをなぞらえ、「呂后は偉大な政治家」「武則天は中国で最初の女性皇帝」と常々口にし、西太后の立ち居振る舞いを真似て、さらに「女性だって皇帝たりえる。ならば、共産主義社会になっても女性皇帝は存在する」と語り、あまつさえ訪中した外国要人に向かって「もちろん私が後継者」と吹聴した、とか。まあ調子コイテいた、ということ。

 林彪との仲を嘲り笑う「両個最最最・・・不要臉(2つの最最最低の・・・ツラ汚し)」と名付けられたザレ歌では、「互いにゴマすり競い合う。ヤツはコイツを塗りたくり、コイツはヤツに厚化粧。2人の願いは1つになって。ヤツはコイツを手本とし、コイツはヤツの同志なり。なんともかんともバカバカし」と嘲笑され、挙句の果てに「江禿、林禿を哭く」という題名の長編の詩を贈呈される始末だ。

 じつは「毛沢東同志の親密な戦友」で「後継者」だった頃の林彪は公の席では常に軍服に軍帽姿で毛沢東に寄り添うように振舞っていたし、共産党公式メディアも凛々しい林彪のイメージ作りに精出していた。だが、失脚が公式に明かされる直前、突如として彼のハゲ頭写真が配信された。林彪のそれまでのイメージを打ち壊そうという魂胆は、見えみえ。一方の江青だが、その真偽のほどはともかくも、文革当時から鬘だという噂は流れていた。  

 細君がハゲで「親密な戦友」の後継者もハゲ。ということは、毛沢東は余ほどハゲと縁が深いということになる。ハゲに魅入られた毛沢東などと茶化す心算はないが、それにしても、この手のナンセンス極まりない批判が、自らのバカさ加減を世界中に曝していることに中国人民は気がつかないのだろうか。夜郎自大・無知蒙昧で天にツバ、です。《QED》