~川柳~ 
《全球化 吃喝玩楽 随我便》⇒《飛び出して 我が物顔で 練り歩く》
■相撲八百長騒動に・・・アマチュア・スポーツのフェアプレーとプロ・スポーツの真剣勝負が同じだとは、とても思えませんが・・・《隅田川 川面濁りて 桜映え》■

  【知道中国 523回】       一一・二・初三

      ――観光は、新しい時代の新しいプロパガンダ

      『中国紅色游』(《中国紅色游》編委員会 中国旅游出版社 2007年)

 「紅色游完全図文手冊」とのサブタイトルを持つこの本は、「紅色游」と名付けられた一種のパック旅行に関する懇切丁寧な案内である。この1冊を手にすれば、中国全体に張り巡らされた30本ほどの紅色游ルートを十二分に堪能できますというのが、この本のウリ。

 90年代後半以降、ということは江澤民政権が推し進めた反日教育の波に乗るかのようにして始まったのが「紅色游」と呼ばれる旅行だ。毛沢東以下共産党指導者の生家、革命烈士ゆかりの地、坑日戦争や革命闘争の激戦地(と称する地点)などを巡り、先人の苦労を学ぼうというわけだが、かく曰く因縁のある場所を共産党の情報・宣伝部門を統括する中共中央宣伝部が「全国愛国教育基地」に指定することとなった。その数、全国で200ヶ所余り。次いで04年末になると、中共中央弁公室と国務院弁公室(つまり党と政府の中枢)が「2004-2010紅色旅游発展綱要規画」を定めたことで、愛国教育基地と伝統的な名勝古跡を組み合わせたパック旅行が当局のお墨付きを得て本格化することとなる。

 たとえば「革命揺籃、領袖故里」のキャッチコピーのある湖南省の「韶山⇒寧郷⇒平江ルート」をみると、先ずの韶山にある毛沢東の旧宅を振り出しに、湘潭で解放軍の生みの親である彭徳懐、次いで劉少奇を経て毛沢東夫人の楊開慧と、各々の生家と付属記念館を訪ねた後、湖南省西部の景勝地で知られる風光明媚な鳳凰城を回ろうというもの。革命に生涯を捧げた先人の苦闘を学び、最後を景勝地観光でホッと一息、といったところか。

 ここで注目すべきは紅色游が本格化した時期だ。江澤民政権による愛国=抗日教育化の徹底という側面はもちろんだが、その一方で、それだけの規模の旅行客を受け入れうる交通手段、宿泊施設、土産物屋、娯楽施設、旅行会社など旅行に関するソフトとハードの両面が全国的に完備した。いわば経済規模と生活程度とが一定のレベルに達したということ。
しかも紅色游は個人旅行ではない。「旅行者は中国の革命史を学び、観光と学習の双方を満足させる。彼らは“赤色の景勝地”で数限りない革命の物語に接する。(中略)時に“赤色の景勝地”において、たとえば『紅軍の軍服に身を包み、紅軍の軍歌を唱い、紅軍の食事を食べ、紅軍が行軍した道を歩く』などの具体的活動に参加する。(中略)紅色游によって革命の先人の輝かしき大業を讃仰すると同時に、旅行者は周辺の景勝地を遊覧するものである」(「前言」)。これを言い換えるなら、紅色游は愛国教育基地と景勝地を同じ観光ルートに組み込むことによって抵抗感なく革命を疑似体験させ、知らず覚らずうちに《共産党の功績》《共産党の大恩》を刷り込もうという巧妙な政治教育であり、政治宣伝なのだ。

 数年前、「革命の聖地」で知られる延安で紅色游の団体旅行客に出くわしたことがある。ガイドの説明に真剣に耳を傾けるわけでもなくガヤガヤと騒ぎ、互いにニヤニヤしながら「紅軍の軍服に身を包み」記念写真を撮っていた。彼らの振る舞いを見て、「革命の聖地」も単なる観光地に堕したもの。紅色游による愛国教育なんて無意味だ。ムダだと思ったものだが、それは誤りだった。じつは紅色游は中国が大量消費社会に突入したからこそ生まれた大衆参加型のダイナミックな観光システムであり、それによって共産党イデオロギーをソフトに教育する有効な手段。観光を楽しみながら革命を観光客の体内に注入する。つまり『中国紅色游』は観光案内ではない。洗脳ガイド・ブックだ。観光、恐るべし。《QED》