【知道中国 506回】        一一・一・初三

     ――泣くに泣けず笑うに笑えず・・・悪い冗談デス

     『新編 群衆賢文』(広西人民出版社 1974年)

 この本を編んだ鹿塞県江口公社《新編 群衆賢文》編写組が冒頭に掲げた「編写説明」によれば、「封建時代の数百年にも亘って『増広賢文』なる書物が広く流布した結果、害毒そのものである孔子や孟子の教えが社会全体に広まり、その害は現在でも完全に消えることなく、依然として民衆の間に毒気を撒き散らし、人々の思想を毒している。劉少奇や林彪らのペテン師は反革命修正主義路線を推し進める必要から、孔子や孟子などといった亡霊を担ぎだしてくる」。それゆえ、「目下のところ深く展開している批林整風運動と結びつけて孔子批判を推し進め、その害毒を徹底して取り除くことこそが軽視しえぬ重要な政治的任務である」とのことだ。

 その「政治的任務」を達成すべく名も無き人民によって作られたこの本は、「易しいことばで深い意味を表わし、民衆の中から生まれ、人民に服務し、ブルジョワ階級の旧を破砕し、プロレタリア階級の新を打ち立て」、「マルクス・レーニ主義の真理で頭脳を武装し、共産主義精神で人民を教育する」ものであり、かくして「プロレタリア階級の革命を完遂し、人類の徹底した解放のために一生を賭して奮闘する」ことになる・・・らしい。

 まあ能書きはどうでもいいから、実際の文章に当たってみよう。

 「旧い社会は真っ暗で、貧乏人は牛や馬。貧乏人の苦しみは尽きることなどありゃしない。血涙だらけの恨みなど、語り尽くせるものじゃない。3つの大きな山塊(帝国主義・封建主義・官僚資本主義)が貧乏人を押し潰す。金持一晩呑むカネあれば、貧乏人なら半年食える。朝は野の草、昼はヌカ、夜に食らうは茶碗に浮かんだお月様。灼熱の夏、霜の秋、冬の寒さに骨が泣く。奴隷の生活強いられて、先祖は痛み苦しんだ挙句の果てに我が子売る。役所の門は開いていても、カネがなければ入れない。この苦しみを訴える、場所など何処にもありゃしない。無実の苦しみ嘗めるだけ。天国への道閉ざされて、地獄の門もピタリと閉まる。竹や楠、根を張るように、貧乏人は心を繋ぐ。尽きぬ恨みの劫火が燃えて、いざ革命に決起する。

 「春の雷天下を揺すり、共産党(すくいのぬし)がやってきた。3つの山をひっくり返し、暗雲払えば太陽が。人民天下の主(あるじ)になって、世間の仕組みを我が手に握る。社会主義は素晴らしく、地獄のこの世を天国に。人民公社は素晴らしく、集団への道広々と。村に機械の音響き、どこもかしこも明るい電灯(ひかり)。共産党の愛情篤く、深い海にも似ています。毛主席の恩愛は天より高く、いや高し。

 「奴隷が人に翻身(よみがえ)り、解放勝ち得たその訳は、共産党があればこそ。革命闘争勝ち得た訳は、毛主席のお陰です。誰もが主席を熱愛し、共産党を慕います。われ等が領袖・毛主席、しっかりついて行きさえすれば、永久革命迷いなし。

 「マルクス主義が四海(せかい)を激し、春の雷、鳴り響く。毛沢東思想が五洲(ちきゅう)を包み、戦いの旗、揚がります。革命宝書(=『毛主席語録』)が光を放ち、世界の果てまで輝かす。

 「世界人民大団結し、真紅の太陽、世界を照らす。共産主義が永遠の光を放つ姿見よ」

 めったやたらに調子よく読めるが、内容はバカバカしいほどに陳腐だ。それしても「共産主義が永遠の光を放つ姿見よ」って、そうですか、それなら見せて下さいな。  《QED》