【知道中国 501回】        一〇・十二・念四

      ――あの頃は絵本までが“実事求是”を語っていた・・・のに

      『“没興趣”游“無算術国”』(嵆鴻 少年児童出版社 1978年)

 鄧小平の強力な指導の下で共産党政権が政治最優先の毛沢東路線を清算し、経済第一の開放路線にコペルニクス的大転換を果たした78年末から数えて半年前の同年6月に出版されたこの本は、表題となった「“没興趣”游“無算術国”」を含め8つの科学童話を納めている。毛沢東時代の児童書とは異なり、『毛主席語録』からの引用もなければ、大人顔負けの為人民服務ぶりを発揮する気持ちの悪い“大人子供”も登場しない。ただ只管に事実を以って事実を学ばせようとする姿勢に貫かれている。これこそが、鄧小平が強く主張した実事求是(=事実に基づいて真理を求める)というやつだろう。

 没興趣(興味なし)クンにだって本名はあるものの、彼は興味のないこと、面白くないこと、嫌なことには一切関心がない。そこで、こんな渾名で呼ばれるようになったわけだが、「好きなことだけすればいい」「嫌いなことはしなくてもいい」などと育てられた“ゆとり世代”の日本の若者に共通するものがあるようだ。

 算数を勉強しなければならないのに、九九を覚えるのは面倒だから嫌い。そこで「算数の勉強なんて煩わしいだけ。勉強したって何の役にも立たないや。勉強しなくたって、どうってことないや」である。ところがある時、彼は「無算術国(算数のない国)」に迷い込んでしまった。「なになに、算数がない国。こりゃラッキー」

 この国をブラブラと歩いていると、遠くの方から人の争う声が聞こえる。髭のおじさんが「昨日、お前は87個取って、俺は59個。だから、お前の方が多い」。すると背の小さい方が、「今日はアンタが81個で俺が53個だから、アンタの方が多い」。顔を真っ赤に口角泡を飛ばしての言い争いは延々と続く。やおら2人に近寄った没興趣クンは「なにを喧嘩してるの。どっちが多いかって、足し算してみればいいだけジャン」。流石に無算術国である。2人は声を揃えて、「算数ってなんだい」。落ちている枝を手に没興趣クンは地面に「髭オジサン:81個+59個=140個。小さいオジサン:53個+87個=140個」と書いて、「2日間を足し算すれば、2人とも同じだよ。喧嘩なんかバカバカしいジャン」。すると2人は「そうだったのか。キミが来なければ明日の朝まで喧嘩を続けるところだった」

 次いで「おおい、そこの小学生。こっちに来て助けてくれ」との声がする。行ってみると、デブとヤセのオジサンが2人。デブが捕った魚をヤセが受け取って桶に入れる。40匹捕ったところで桶を覗くと、泳いでいるのは32匹。そこでデブが9匹、ヤセが4匹と逃がした魚の数について言い争っている。没興趣クンは「オジサンたちって引き算を知らないの」。「なんだい、その引き算っていうやつは」。そこでまたまた地面に「40匹-32匹=8匹」と式を書き、「争うことなんてないじゃん。逃げた魚は8匹だもん」

 没興趣クンが操る算数の評判を聞いて、次から次への争いごとの調停が持ち込まれる。「そうか。無算術国では計算ができないから、朝から晩までこうなんだ。困った困った。こんな国にいたっていいことないや」とばかりに、みんなが争っている隙に彼は家に逃げ帰った。それから没興趣クンは算数の勉強を頑張った・・・とさ。めでたしメデタシ。

 無算術国だった毛沢東時代の中国から脱し30年余。当時の没興趣クン世代も大人になったが、いまや金儲け以外は没興趣。かくて中国は新しい無算術国と化したわけデス。  《QED》