【知道中国 499回】        一〇・十二・念

      ――天に代わって成敗してみたものの・・・

       『罪悪的収租院』(上海人民出版社 1971年)

 この本が出版された71年3月の時点では、毛沢東と林彪という当時の共産党を率いていたツー・トップの亀裂は決定的段階を迎えていたはず。にもかかわらず両者の関係は、表向きには「偉大なる毛主席」と「親密なる戦友」。なればこそ、この本の劈頭を「階級闘争とは、ある階級がある階級を消滅させることである。これこそが歴史であり、数千年の文明史である」との『毛主席語録』の一節が飾り、次頁に「階級闘争のなんたるか。搾取のなんたるかが判らないということは、革命が判らないということだ。過去の苦しみを身に沁みて感じていないということは現在の幸運を知らないということであり、ましてや今日の喜びを苦しみと誤解してしまうということだ」という林彪のことばが置かれているのだ。

 当時の両者の関係、その後の林彪に対する公式的な取り扱いから考えれば、掛け合い漫才風ながら、両者のことば実に意味深といえるだろう。だが、それはさておき、この本は文革中に大評判になった収租院という一群の塑像作品に関する記録映画の解説版である。

 国民党時代、「天府の国」の別名で呼ばれる実り豊かな四川省に地主でありながら軍閥・官僚・土匪でもあった極悪非道の劉文彩がいた。コイツは四川西南部に位置する10数県で覇を唱え、支配下の農民の生殺与奪の権を握っていた。塗炭の苦しみに喘ぐ農民を尻目に贅沢三昧限りなし。コイツが1年間に吸うアヘンの代金で、3千人以上の農民が1年間腹いっぱい食べられるほどの米が買えた。豪壮な屋敷の豪華な仏間の後ろには水牢まで備えてあり、年貢を払えない農民を散々に痛めつけ殺しまくっていた・・・そうだ。

 コイツの屋敷の一角に収租院と呼ばれる建物がある。虐げられた農民にとっては「地獄の門」にも等しい門を潜ると、その先には“この世の地獄”が待っている。毎年秋の収穫が終わる頃、農民に対し年貢を納めにやってくるよう告示を貼り出す。すると、老いさらばえ、やせ衰えた農民が肩に担ぎ、背負い、あるいは手押し車で年貢を納めにやってくる。獰猛な犬を従え、劉文彩の私兵たちが鞭や銃を手にして農民を厳しく監視する。のろのろ歩く農民には犬を嗾け、米1粒でも足りない農民には巨漢の手下が無慈悲にも鞭を振った。「後生ですから、お助けを」と哀願しようが容赦はしない。年貢の足りない農民は殴り飛ばし、水牢にぶち込む。年頃の娘は借金のかたに売り飛ばされる。

 だが、こんな無理無体がいつまでも続くわけがない。虐げられ動物以下の生活を強いられてきた農民の怒りが爆発したのだ。「マルクス主義の道理は言い尽くせるものではないが、とどのつまりは『造反有理』に尽きる」との毛沢東の教えにしたがって、「苦労を嘗め尽くした農民が、偉大なる毛主席と中国共産党の指導の下に造反に決起した」のだ。「春雷が鳴り響き、労働人民の救いの星である毛主席が指導する軍隊が村にやってきた。この瞬間から、金色の陽光が農民の家々に差し込んだ」んだってサ。

 命乞いする劉文彩に向かって、怒れる農民たちは「階級の敵に鉄槌を」と叫ぶ。

 文革当時、収租院跡を舞台に社会主義クソ・リアリズムの手法で造られた農民たちの塑像を展示し往時の地獄絵巻を再現し、「過去の苦しみを忘れるな」と実物教育を行った。かくて誰もが階級の敵を知り、怒りに燃え「地球上の一切の搾取制度を消滅させ、すべての人類が解放されるまで闘いを止めはしないと誓った」・・・そんな昔もありました。  《QED》