【知道中国 496回】       一〇・十二・仲四   

     ――嗚呼、鮮血で固められた中朝人民の戦闘的友誼・・・

     『英雄的朝鮮人民』(人民出版社 1971年)

 毛沢東から完全に放され絶体絶命の崖っぷちに立たされた林彪が死に物狂いで生き残りの道を模索していた頃と思われる1971年4月末から6月初頭の間、中国新聞工作者代表団の一行は、「兄弟である隣邦の朝鮮を友好訪問した」。この本は、その時の訪問記録だ。

 先ず冒頭で、「英雄的な朝鮮人民は、朝鮮人民の偉大なる領袖である金日成同士を首(かしら)とする朝鮮労働党の英明な指導の下、反帝闘争の旗を高く掲げ、独立自主と困苦奮闘の革命精神を発揮し、戦争の傷跡をたちどころに修復しただけではなく、社会主義国家建設と国防建設の各方面で燦然と耀く成功を納め、朝鮮人民民主主義共和国をして東方世界に傲然と屹立する反帝の最前線の難攻不落の堡塁としている」と、最大級の賛辞を記す。

 読んでいて、なんとも気恥ずかしく、体中がむず痒くなるようだが、この程度で済むわけがない。まだまだヨイショが続く。「(この本の出版によって)我われはプロレタリア階級の限りない思いを抱き、我らが兄弟である朝鮮人民の『アメリカ帝国主義を追い払い、祖国を統一する』という偉大な闘争の道筋で、社会主義建設の広大無辺の事業において、さらに新しく大きな勝利を勝ち取ることを衷心より切望する。中朝両国人民の鮮血で固められた戦闘的友誼が永遠なることを、満腔の熱情をもって願うものだ」とまで言い切るわけだから、これはもう尋常ではない。ヨイショもこのレベルまで達すると、これはリッパな芸、それも至芸、いや名人芸です。

 たとえば朝鮮戦争の惨禍から金日成の指導の下で、朝鮮人民の血と汗とで見事に立ち直った国土についての報告は、なんとも涙と笑いの感動モノ。その一端を紹介すると、

 「こんにち平壌は共和国の政治の中心であるだけではない。かつての消費都市は生産都市、文化都市へと生まれ変わった。工場が連なり、煙突は林立している。解放前、平壌の学齢児童や青年は学校で学ぶことが困難であった。だが現在、20校の大学を含む400校以上の学校が建設され、かつては僅かに4ヶ所しかなかった病院も、いまでは300から500床を擁する病院が30数ヶ所を数えるにいたった。劇場、映画館は数10ヶ所。人民はこのうえなく優れた物質的文化生活を過ごしている。

 平壌――この朝鮮人民の心臓は、勤勉で勇敢な朝鮮人民の耀ける化身であり、その歴史こそアメリカ帝国主義と日本帝国主義の侵略に反抗した歴史であり、自らの倦むことを知らずに働く両手で築き上げた麗しく快適な生活の歴史でもある。どのような敵が地図の上から平壌を抹殺しようと企てようとも、朝鮮人民の実り豊かな生活の破壊を目論もうとも、それらはすべて白日夢というものだ。アメリカ帝国主義の爆弾が平壌の建物を破壊することは出来るが、朝鮮人民の社会主義建設への固い志、共産主義に進もうという強固な信念を打ち砕くことは断固として不可能だ。アメリカ帝国主義に破壊されてから18年後、旧い平壌は、より雄大で、より壮麗で、闘志に満ち溢れた社会主義の新しい平壌となり、反帝の堅固な砦となって東方世界にスックと立っているのだ」

 長い引用だが、この本に納められた報告の凡ては歯の浮くような賛辞に満ち溢れている。

 この本出版から40年ほど。魑魅魍魎の徘徊する奇妙奇天烈な中朝両国関係は、昔も今も「鮮血」ではなく、ウソとデタラメで粉飾されたゴ都合主義的友誼でしかないのだ。滑稽至極とも思えるが、さにあらず。これこそ真の“戦略的互恵関係”というものだろう。 《QED》