【知道中国 494回】        一〇・十二・一〇 

      ――「孔子平和賞」だって。へーッ、ふーん、なに、それ

 「我が国の革命史からみると、階級闘争が尖鋭になった時はいつも、腐朽した反動派は、必ず『大成至聖先師孔夫子』の霊牌をかつぎだし、必ずやほしいままに封建道徳を宣伝し、革命の道徳に反対する。(中略)辛亥革命後から五・四運動前夜、窃国大盗袁世凱は復古尊孔の逆流を起こし、『国粋』の保存を提唱した。

 反動政客になり下がった康有為は、恥知らずにも、国が滅ぶことは問題にするほどのことではないが、孔子の思想が滅ぶことは種族の滅亡と同様な惨禍だといった。五・四運動後から第一次国内革命戦争前夜、段祺瑞北洋軍閥政府の周囲に集まった灰色人物は、封建道徳を大声で宣伝した。第二次国内革命戦争の時、国民党反動派は中国の倫理哲学を大いに説き、我われ民族の固有の道徳、すなわち忠孝仁愛信義和平の八徳を恢復し、宣伝しなければならないといった」

 以上は、文革初期のイデオローグの1人として一世を風靡した関鋒らが学術雑誌の『哲学研究』(1966年1号)に掲載した「呉晗同志の道徳論を批す」の一部である。呉晗(1906年~69年)といえば歴史学者で最終ポストは北京市副市長。文革派は彼が台本を書いた京劇の「海瑞罷官」が毛沢東を批判していると糾弾し、最終的に惨死に追い込んだ。つまり、この関鋒らの論文は毛沢東派がブチ上げた文革への猛々しい号砲であったわけだ。

 なぜ、今頃、かくも時代遅れの論文を持ち出したのか。それは9日、北京からノーベル平和賞に対抗して孔子平和賞が創設され、初代受賞者として台湾の元副総統で国民党主席を務めた連戦が選ばれたと伝えられたからである。

 ノーベル平和賞に対し、孔子平和賞。民主化活動家として囹圄での生活を余儀なくされている劉暁波に対し、総統選挙では連戦連敗ながら、台湾有数の資産家御曹司で夫人は元ミス台湾、胡錦濤の“親密な友人”、そのうえに台湾政界における最大の親北京ロビストの連戦。国際的支援の声の集まる劉暁波に対し、顰蹙モノのズッコケ行動が目立つ連戦・・・いくら北京が「今年のノーベル平和賞に対する中国の平和的回答」と力んだところで、拍子抜けの感は免れない。北京にとっては孔子平和賞の創設は考えに考え抜いた末の苦渋の選択だろうと同情したくもなるが、苦笑せざるをえないというのが偽らざる感想だ。

 北京は中国語と中国文化の教育・普及機関として世界中に孔子学院を置き、いままた孔子平和賞を創設し、孔子頼みで振る舞っているが、であればこそ、関鋒らの論文を読み返してみたくなったのだ。確かに、文革派は否定された。我がスッカラ菅首相の「1にも雇用、2にも、3にも雇用」の口吻に倣うなら、「1にも経済、2にも、3にも経済」の現在に、半世紀ほど昔の賞味期限が完全に切れた古証文を持ち出しても仕方がないのかも知れない。だが、今となってはナンセンスと完全否定されようが、一時は中国の学術界に発し政界をも、いや全ての中国人民の背中を勢いよく押し、中国全土を興奮の坩堝に投げ入れた主張である。やはり膝を折り襟を正し、正座して拝読するのが礼儀というものだろう。

 「我が国の革命史からみると、階級闘争が尖鋭になった時はいつも、腐朽した反動派は、必ず『大成至聖先師孔夫子』の霊牌をかつぎだし、必ずやほしいままに封建道徳を宣伝し、革命の道徳に反対する」・・・孔子学院、そして今また孔子平和賞。ならば「我が国の革命史からみると」、いまや「階級闘争が尖鋭にな」りつつあるはずなんだがナア。 《QED》