【知道中国 474回】       一〇・十一・初二   

     ――ここまでコケにされたら、ヴェトナムが激怒するのも無理なし       

      『中越両国人民牢不破的戦闘団結』(人民出版社 1971年)

 天下公認の毛沢東の後継者であった林彪と夫人らが慌ただしく乗り込みモスクワを目指し飛び去った小型ジェット機がモンゴル領内に墜落したのが、1971年9月。毛沢東暗殺に失敗しての逃避行(?)というのが北京の公式発表だが、権力闘争と謀略で明け暮れる北京の奥の院での話だけに、にわかには信じられそうにない。

 その2ヶ月後の11月――おそらく北京の政権内部での動揺は激しかったはずにもかかわらず、「我が国人民の偉大な指導者であり中国共産党中央委員会主席の毛沢東同志は、11月22日、ヴェトナム労働党中央委員会政治局委員でヴェトナム民主共和国政府のファン・ヴァンドン同志と彼が率いるヴェトナム労働党とヴェトナム民主共和国政府代表団全員と会見し」、「会見は極めて友好的な雰囲気の中で行われ、・・・毛主席は前に進み出て(一行を)迎え、反米闘争の前線からやってきた兄弟であるヴェトナム人民の友好の使者に熱烈なる歓迎の意を表した」そうだ。見事な演技。毛沢東はたいした役者です。アッパレ、です。

 この本は、ヴェトナム代表団の中国滞在中に両国間で結ばれた共同声明、関連発言、中越両国で発行されている党機関紙に掲載された社説や関連記事を集めたものである。

 共同声明では、「中国人民は、英雄的なヴェトナム人民がホー・チミン主席が遺した『米帝を駆逐し、傀儡政権を打倒せよ』と『我が国土に1人でも侵略者が踏みとどまっている限り、我々は戦いを継続しなければならない。その全てを追い出すのだ』との偉大な教えを固く守り、勝利に向かって前進し、米帝国主義者の侵略を徹底的に打ち破ると共に、南部の解放、北部の防衛、祖国の平和的な統一を実現することを深く信ずる」と表明する一方、「ヴェトナム側は、兄弟である中国人民が敬愛すべき毛沢東主席を頭とする光り輝く中国共産党の指導の下で光栄ある革命事業において極めて巨大な成果を成就したことを最高度に讃え」ている。

 またヴェトナム党機関紙の社説(11月27日付け)は、「中国人民の我が国の党と政府代表団に対する熱情溢れる対応は、ホー・チミン主席の説いた『同志に兄弟を重ねる』関係の現われであり、毛主席が語る『ヴェトナム人民の堅固な後ろ盾』である7億中国人民の崇高な精神をものの見事に体現している」と、中国側の対応を絶賛している。 

 ところが71年7月には、米国務長官のキッシンジャーは秘密裏に訪中し、ニクソン大統領訪中の段取りをつけていた。ということは、ノー天気にもヴェトナムが「同志に兄弟を重ねる」関係やら「ヴェトナム人民の堅固な後ろ盾」やらと、歯の浮くようオ追従をしている頃には、米中両政府の実務者間ではニクソン訪中に向けての準備が着々と進んでいたはず。知らぬはハノイばかりなり、だった。

 そしてヴェトナム訪中団帰国から3ヶ月後の72年2月、ハノイにとっては憎んでも憎みきれない不倶戴天の敵である米帝国主義の頭目のニクソン大統領が、大統領専用機で中国を訪問した。タラップを颯爽と降り立つニクソン。満面の笑みで迎える周恩来。2人は固い握手を交わす。このシーンを見せつけられた「ファン・ヴァンドン同志」以下の「英雄的なヴェトナム人民」は臍を噛み、中国への怨念を滾らせたに違いない。同情致します。

 米越両国を手玉に取って知らん顔・・・厚顔無恥・巧妙自在・身勝手至極。  《QED》