【知道中国 471回】       一〇・十・念七 

      ――そういわれてもなあ・・・

     『列寧在十月』(上海人民出版社 1970年)

 この本は「1971年7月7日、フィンランドを出発した国際列車第75便は国境を越えてロシア領内に入った。深い夜霧のなかを、ロシアの首都・ペトログラードに向かって夜汽車は驀進する」との感動的なシーンからはじまる。もちろん、この列車に陳座ましましておられるオ方こそ、誰あろう「プロレタリア階級の偉大なる導き手」であらせられる列寧、つまり“レーニン閣下様殿”でゴザリマスル。はい、左様で。

 「ロシアの2月革命はツアー政府を倒したものの、政権はブルジョワ階級に簒奪されてしまった。全ての政権をソビエトに。ボルシェビキ党は武装蜂起を準備し、武力によってブルジョワ政権を打倒しソビエト政権を打ち立てることを決定した」。そして、「この決定的に重要な時期に、偉大なるレーニンは革命の全面的計画を胸に納め、秘密裏にペトログラードに戻ったのである」

 労働者の英雄的支援を得て、白色テロの暴力を撥ね退け潜り抜けて秘密のアジトに辿りついたレーニンは、「直ちに武装蜂起すべしとの提案をすべく、翌日にはスターリンと会談する。白熱の議論が4時間。レーニンは、彼の指示に基づいて詳細に計画された武装蜂起に関するスターリンの報告を承諾する。両者の話し合いは終わった。別れ際、レーニンはスターリンの手を握り成功を祈る、と」

 「10月10日、ペテログラードのある住宅内で、ボルシェビキ党中央委員会は極めて重大な歴史的意義を持つ会議を開催する」。まあ、色々と意見の違いなどゴタゴタがありましたが、最後の土壇場でレーニンが、「武装蜂起を避けることはできるはずもない。いまや機は熟したのだ。中央委員会は党の各組織に対しこの考えを方針とし、併せてこの一点から出発して討論し一切の実際の問題を解決するよう提案する」と獅子吼する。この「レーニンの考えは、スターリンら大多数の中央委員の支持を得た」という。

 かくして「十月革命の砲声は、我われにマルクス・レーニン主義を贈り届けてくれた」(毛沢東)わけだが、その「マルクス・レーニン主義」という贈り物が厄介至極。20世紀の世界を大混乱に陥らせ、21世紀の今なお人類を迷わせているから・・・史上空前疫病神。

 この本は「プロレタリア階級の偉大な指導者のレーニンは自ら社会主義10月革命の勝利を導いた。10月革命は資本主義殖民体系に死刑を宣告し、世界革命人民の前進すべき方向を指し示した。革命は発展の渦中にあり、人民は前進する。いまや世界は毛沢東思想の新しい時代に入った。全世界のプロレタリアよ、決起せよ。マルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想の偉大な紅旗を高く掲げ、10月革命の路線に沿って雄々しく前進せよ」と、盛んにアジっている。マルクス、レーニン、毛沢東の3人が“革命の宗家”ということか。

 その毛沢東は「ソ連は最初の社会主義の国であり、ソ連共産党はレーニンが創造した党である。いまソ連の党と国家は修正主義者に簒奪されてはいるが、ソ連の広範な人民、広範な党員と幹部は立派であり革命を強く望んでいる。修正主義の統治が長続きするわけがないことを、同志諸君は固く信ずるべきだ」と口にしていたはず。中国の「党と国家」の現在を言い当てているようで、実に不思議。預言者・毛沢東の面目躍如。だが悲惨で喜劇。

 それにしてもいま「同志諸君は」、何を「固く信」じるのか・・・やはりゼニか。  《QED》