【知道中国 459回】       一〇・十・初三

     ――そうか、そうだったんだ

     『十万個為什麼』(上海人民出版社 1970年)

 これは全部で13冊という大部のシリーズで、出版し終わるまでに4年ほどの歳月が過ぎている。第1巻の出版が1970年で最終13巻が74年だが、この間の重要な動きを拾ってみると、毛沢東と林彪の対立顕在化(70年)、林彪のナゾの逃亡とモンゴルでの墜落死(71年)、林彪事件総括の第10回党大会(73年)、四人組台頭と批林批孔運動(74年)。まさに文革後半の激動期を通じて出版されたことになる。それだけに、恐らく編集者も執筆者も作業途中で方針や内容を変更せざるをえない立場に立たされ、大いに戸惑ったに違いない。

 書名は『十万個のナゼ』となっているが、「十万個」は沢山という意味合い。第1巻冒頭の「ナゼ、我われは計算や数字を記録するのに10進法を使うのか」からはじまり第13巻最後の「ナゼ、勝手にツバを吐くのはダメなのか」まで、各巻に100から130前後の「ナゼ」が挙げられ、その回答がイラスト入りで判り易く解説されている。とはいえ「ナゼ、毛沢東は偉大なのか」「ナゼ、文革は発動されたのか」「ナゼ、劉少奇の粛清は必要だったのか」「ナゼ、林彪は逃亡したのか」などといった類のヤバイ話は、当然のように扱われているわけがない。先ずは、子供たちが日頃の生活の中で持つに違いないような素朴な疑問を解き明かすことで自然科学に対する理解を促そうというのが、この本の狙いだろう。

 このシリーズの初版出版は、大躍進失敗から毛沢東の権威が後退し、どん底経済立て直しに辣腕を揮ったことで国民間に劉少奇への期待が高まった時期の1962年。この改訂版は、劉少奇が毛沢東の敵として国民的糾弾の標的となり抹殺された文革期の出版。政治情況が大逆転してしまった情況では、さすがに初版をそのまま印刷するわけにはいかなかった。

 その辺りに事情を各巻冒頭に掲げられた「重版説明」は、「これまで叛徒・内奸・工賊の劉少奇の反革命修正主義文芸の黒い方針とその影響下にあって、多くの誤りが存在し、マルクス主義・レーニン主義・毛沢東思想を積極的に広めないだけではなく、(中略)知識万能を宣揚し、趣味性を追及し、封建・資本・修正主義の毒素を撒き散らす内容の書籍が少なからず横行していた。偉大なるプロレタリア文化大革命の運動の過程で広範な労働者・農民・兵士と紅衛兵の小将軍は、それら書籍の持つ誤りを厳格に批判し、修正主義文芸の黒い方針と黒い方針による出版がもたらす害毒を徹底して粛清した」と説明する。

 なにが「害毒」で、内容をどのように「徹底して粛清した」のか判然とはしないが、たとえば「ナゼ、90%以上の火傷でも完治可能であるのか?」の項目をみると、「資本主義国家の医学の“権威”は、火傷の面積が体の表面積の85%を超えた場合、死亡率は100%だと結論づける」が、「1958年に毛主席が定めた『意欲を奮い立たせ、先頭に立つよう努め、より多く、より早く、より立派に、より倹約して社会主義を建設せよ』との耀ける総路線の下、工農業生産の大躍進の高まりに鼓舞され、我国の医学関係者は迷信を打破し、大胆に実践し、80%以上の火傷患者を救うことに成功した。偉大なる文化大革命の過程で(中略)99%の火傷を負った患者、さらには3度の火傷で94%という広い面積の火傷を負った患者を治癒することに成功し、資本主義国家の“権威”の定説と文献上の記載を完全に乗り越え、世界医学界における奇跡を創造」とのみ。これはナゼへの回答ではない。

 森羅万象・難問苦悶なんでも毛沢東思想が瞬時に解決致し候・・・そういわれても。  《QED》