【知道中国 452回】       一〇・九・念二  

     ――『史記』から疑え

 尖閣海域へ領海侵犯をめぐって、中国は官民(とはいうが実際は民を装った官だろうから、正確には“官官”というべきか)双方に加え、香港、台湾、それに海外華人社会のプロ活動家を動員し、大攻勢を仕掛けてきた。ここで日本側が弱腰に終始したなら、彼らの思う壺。尖閣を越え、先島、琉球、奄美にまで触手を伸ばしてくるに可能性なきにしもあらず。一般に、彼らの明白なる領海侵犯行為を共産党政権による露骨な膨張政策の一環と看做し批判しがちだ。だが、ここで冷静になって考え指摘しておくべきは、尖閣を固有の領土とする主張のウソ、デタラメ、インチキさだろう。

 日本の国内法はもちろんのこと、変転極まりない国際政治においても、尖閣は一貫して日本固有の領土であった。だが、60年代末に尖閣周辺海域に豊富な海底資源の可能性が指摘されるや、彼らは尖閣の領有を主張しはじめた。彼らは数多くの証拠らしきを持ち出すが、突き詰めていうなら「昔から中国のもの」という極めてあやふやな論拠から一歩も出るものではない。だが、そのあやふやさこそが究極の問題となる。

 彼らの論法に従えばチベットも、ウイグルも、モンゴルも、シベリヤも、日本海も・・・南沙・西砂の両海域も、「昔から中国のもの」となってしまう。だが、その「昔」を彼らが具体的に口にすることはない。それというのも、彼らの意識の根底における「昔」は太古の尭舜の時代であり、それぞれの地域が中国の版図に組み込まれた根本的・決定的記録として『史記』など数多の古代の史書・地理書を持ち出しかねなないからだ。

 尖閣は明治時代に日本政府が清朝政権に質し固有の領土であることを宣言し、それを国際社会が正式に認めたという近代社会のルールを示そうが、彼らは「いやいや、『史記』に記されている東方海域の某々島こそが魚釣島だ。だから日本人が尖閣と呼ぶ島嶼は歴史的に中国のものなんだ」と強弁を揮う。じつに始末に負えないのである。そこもと左様に『史記』など古代の文献に記された地名、国名、島嶼名を無限に拡大解釈されたなら、困ったことに地球上の全ての地域や海域が歴史的に「中国の神聖な領土」とされかないのである。

 1840年のアヘン戦争に敗北して以来、彼ら中国を救う唯一の道を富強に求めた。辛亥革命によって満州族の清朝を追い払い漢民族による中華民国を建国したのも、毛沢東が北京に共産党政権を樹立したのも、大躍進も文化大革命も、とどのつまりは富強の中国を求めての試みだ。「外国から侮られてなるものか」の一心が彼らを突き動かしてきたものの、それら壮大な試みは悉く烏有に帰し、悲劇で幕を閉じた。外国から侮られるがままだった。

 だが70年代末に登場した鄧小平の対外開放をキッカケに、ようやく中国は富強への道を歩き始めた。たとえ国内に格差、権力の横暴、汚職、環境破壊、水不足、道徳的退廃、社会秩序の崩壊など大難問が山積しようと、長い中華帝国の歴史を紐解けば日常茶飯事であり、アヘン戦争以来の苦悩に較べたらモノの数ではない。だがいまや、世界を足下に睥睨した栄光の中華帝国への道を邁進している。アメリカを凌駕するような超大国を目指せ。アヘン戦争以来の屈辱を晴らせ。我らを侮ったヤツラに復讐せよ。栄光の中華帝国の再興だ。かつての中華帝国が占めていた最大限の版図こそ、我われのもの。本来の持ち主が所有を主張しただけだ・・・経済力という白日夢に、彼らは酔い痴れている。

 だから、彼らが持つ古代の数々の史書が指し示す広大無辺たる版図は古代の人々の妄想の産物でしかなく、近代国際社会では受け入れられないことを断固として知らしめるしかない。毛沢東は「99回説得してもダメだったら、100回目には殴って教えよ」、と。  《QED》