【知道中国 440回】      一〇・八・三〇

      ――“栄光の歴史”が蠢きはじめた


 8月27日、シンガポール有力華字紙の「聯合早報」を眺めていると、興味深い論説に出くわした。論題は「『中国の世紀』、いまだ到来せず」。

 思い起こせば苦く恨めしい思い出ではあるが、中国が世界第2位の経済大国を目指したことがあった。1958年に毛沢東が強引にブチ上げた大躍進政策だ。当時のスローガンは「超英趕美(英国を超えてアメリカに追いつく)」。当時、世界の資本主義世界第2位の経済力を持っていたイギリスを15年で追い越した後、首位のアメリカに追いつこうというのだから、その意気や壮。とはいうものの、大躍進は散々な結末で終わったが、今にして思えば毛沢東の悲願は52年後の達成されたことになるわけだ。だが、毛沢東が目指した自己犠牲と禁欲によるのではなく、それとは正反対の欲望全開によってもたらされたものだが。

 さて、「『中国の世紀』、いまだ到来せず」に戻るが、「中国経済の総量が日本を超えたことは、改革開放30年の偉大な成果だが、楽観視できない」と説き起こし、その理由を「GDP総量に基づくなら、中国は歴史上の『常態』を回復したに過ぎないからだ」とし、さらに「歴史を振り返るなら、中国の生産総量は一貫して世界の第1位だった。1820年に至り中国のGDPは世界の3分1であり、順位は1位。1870年になって世界の17%で第2位となって以後、下落する一方だった。だから歴史的にいうなら、本来占めていた位置に戻っただけなのだ」と、大騒ぎする論調を強く戒める。

 さらに「『中国の世紀』、いまだ到来せず」の理由をいくつか挙げているが、それらを簡単に紹介すると、①1人当たりのGDPは4000ドルに到達せず、世界の99位にすぎない。じつは1820年は23位、1900年は34位、1950年ですら45位だった。②中国経済が永遠に高度成長するわけはない。資源の浪費、生産効率の低下、環境破壊、不動産価格の高騰、貧富の格差、高齢化社会への突入など「負」の要因が顕著になりつつある。③輸出から内需拡大への転換の道筋が不透明だ。高所得層の上海住民をみると、3分の2以上が収入の4分の1を、3分の1が35%以上を貯蓄に回している。農村住民もまた医療、老後、子弟教育などの不確定要素ゆえに貯蓄に力点を置く。だから、現状では内需拡大策は言うは易く行う難い。④他国にとって中国の重要性は増しているが、必ずしも唯一無二というわけではない。⑤中国に対する他国の好感度が依然として低い。最近、Pew Research Centerが20ヶ国を調査した結果をみると、中国に好感を持つとの回答が50%を越えたのは8ヶ国のみ。6ヶ国では半数以上が好感を持ってはいない。回答者の50%以上がアメリカに好感を抱いているのは17ヶ国にのぼる。

 かくて「『中国の世紀』、いまだ到来せず」は、「能力と意識の両面からいって、中国は『世界第2位』と呼ばれるだけの準備を完了したわけではない」。だから、国家としても国民としても、世界第2位に相応しい責任と義務を覚悟しなければならない――と結んでいる。

 確かに、全うな結論といえる。だが、その至極冷静と受け取れる考えの根底に、「中国は歴史上の『常態』を回復したに過ぎない」という“滾る思い”が横たわっていることを忘れてはならないだろう。飽くまでも過去の栄光を求め“失地回復“を目指そうとする。

 8月26日、中央電視台は中国国産有人海底探査艇が南シナ海で3700メートルまでの潜水に成功し海底に中国国旗を立て、当該海域に関する主権を内外に示したと報じた。  《QED》